【写真】飲酒ひき逃げ事故を起こした疑いが持たれるトロット歌手のキム・ホジュン容疑者が24日、ソウル中央地裁で行われた令状審査の被疑者尋問を終え、裁判所を後にした/NEWSIS

 歌手キム・ホジュン容疑者の飲酒ひき逃げ事件を見ていて、容疑者や参考人にうそをつく権利をいつまで与え続けなければならないのかという疑問が改めて浮かんだ。韓国の法律は法廷で証人がつくうそは偽証罪で処罰するが、捜査機関でつくうそには処罰規定がない。多くが防御権の意味合いで容認される。容疑者であれ参考人であれ同じだ。今は一般の人々もそれを知っている。それでキム容疑者と所属事務所も事故発生から10日間、公然と飲酒の事実を否認したのだろう。

 そのうそを覆い隠そうと、キム容疑者と所属事務所は、運転者のすり替え、口裏合わせ、組織的証拠隠滅を行った。うそがさらに大きなうそを生み、犯罪にまでつながった。所属事務所の代表と社員はそれで逮捕され、キム容疑者も危険運転致傷、逃走致傷などの疑いで逮捕された。司法システムに対する翻弄の始まりはうそだったが、その段階では何の処罰も受けなかった。

 米国は異なる。虚偽供述罪の規定があり、捜査機関でついたうそも処罰できる。米連邦最高裁も1998年、容疑者にはうそをつく権利がないことを明確にした。労組幹部が「会社から現金や贈り物を受け取ったか」という取り調べ時の質問に「いいえ」と答えたことが虚偽供述罪に当たるとした。消極的な犯行の否認も虚偽供述罪と見なしたのだ。米国の憲法が保障する供述拒否権(黙否権)は、不利な陳述を拒否して沈黙する権利を与えただけであって、口を開いたならば真実を話さなければならない。 

 韓国の憲法が保障する供述拒否権の趣旨も米国と変わらない。ところが、虚偽の供述を処罰する規定がないため、誰もがうそをつく。うそが幅を利かせれば、力があり、カネがあり、狡猾(こうかつ)な犯罪者が法の網をくぐり抜ける可能性が高くなり、犯罪被害者は救済を受けることが難しくなる。それは正義とは言えないのではないか。

 処罰の方法が全くないわけではない。間接的ではあるが、刑法上「偽計による公務執行妨害」として処罰することはできる。しかし、有罪と認められるケースはまれだ。大半の場合、裁判所は捜査で明らかにできる程度の虚偽供述は処罰できないとする立場を取っているためだ。虚偽の供述があっても、それは捜査機関が十分に捜査できなかった結果にすぎず、捜査機関をだました行為だけで罪を問うことは難しいという趣旨だ。しかし、虚偽の供述を行えば、捜査機関は不必要な証拠調査や関係者に対する出頭要請を行わなければならず、罪のない人が処罰される可能性も出てくる。捜査や裁判の遅延を招くこともある。それは国家の司法機能に対する妨害ではなかろうか。それにもかかわらず、裁判所が虚偽供述に寛大すぎるため、ほぼ処罰が難しい。

 刑事司法の重要な価値は、適法な手続きによる被疑者の人権保障と実体となる真実の発見だ。どちらも捨てることが価値だ。米国は被疑者の人権は保障するものの、事件の実体を明らかにするのに必要な制度的仕組みも設けている。虚偽供述罪もその一つだ。そういうバランスが必要となるが、韓国はこれまで明らかに被疑者の人権にだけ重点を置いてきた面がある。

 韓国も虚偽供述罪の導入を検討する時期が来たと考える。自白を強制しようというわけではない。被疑者は不利ならば供述を拒否すればいい。少なくとも積極的なうそはつけないようにしようと意味だ。供述拒否と虚偽供述は全く別問題だ。 検察がそれを武器に起訴権を乱用する恐れがあるなら、それを防ぐ装置を設ければよい。適用対象を賄賂など権力型犯罪、殺人、麻薬、テロなど重大犯罪に制限することもできるだろう。虚偽供述罪はこれまで学界でも議論されてきた内容だ。これからは議論を本格化してほしい。狡猾な犯罪者たちが法の網をくぐり抜けようと、うそを防御手段として悪用する状況をいつまで見過ごすことはできないではないか。

崔源奎(チェ・ウォンギュ)論説委員

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