▲写真提供=首相室/NEWSIS

 ロシアでは権力に抵抗する人物の不可解な死は非常に歴史が深い。帝政ロシア時代の1762年1月に即位した皇帝ピョートル3世はクーデターによりわずか6カ月で廃位となり、それから8日後に死亡した。後任の皇帝で妻だったエカテリーナ2世による暗殺が有力視されている。レーニンと共にロシア革命を率いたトロツキーは政敵だったスターリンが権力を握るとメキシコに亡命したが、1940年に刺客により暗殺された。元情報機関職員だったクリビツキーは「共産主義との決別」を宣言した直後の41年に米ワシントン市内のあるホテルで遺体で発見された。

 プーチン大統領が政権を握った後に暗殺疑惑が指摘される代表的な事件は2006年のアレクサンドル・リトビネンコ氏の事件だ。ロシア連邦保安庁(FSB)職員だったリトビネンコ氏はFSBの不正を暴露する会見を行った後、ロンドン市内のあるホテルでかつての同僚が出した紅茶を飲んで突然死亡した。ロシア軍によるチェチェン虐殺を批判したジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ氏も2004年に飛行機の中で紅茶を飲んで意識を失うも一命は取り留めた。しかしそれから2年後に自宅アパートのエレベーター内で射殺され遺体で発見された。

 ロシアのエネルギー財閥トップだったボリス・ベレゾフスキー氏は2013年にロンドン市内の浴室で首をつった状態で発見された。一時はプーチン大統領を支援したが、2000年にプーチン大統領が権力を握ってから関係が悪化し英国に逃れていた。遺体の首には「自殺」ではなく「窒息」の痕跡が残っていたという。

 野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイ氏はプーチン政権に反対し不自然な死に追い込まれたが、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年2月以降、ナワリヌイ氏と同じく不可解な形で死亡した人物はこれまでに50人以上に達する。戦争に批判的だった民間石油会社ルクオイルのラビル・マガノフ会長は22年9月にモスクワ市内のある病院の窓から転落死した。ロシアの民間軍事会社ワグネル創始者のエフゲニー・プリゴジン氏は昨年8月に乗っていた専用機が墜落して死亡した。武装反乱が失敗してから2カ月後だった。

リュ・ジェミン記者

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