社会総合
「避難せよ」と6回警報…昼食時間に走って逃げた延坪島住民、よみがえる十数年前の悪夢
「今日午後3時から延坪部隊が海上射撃を実施するので、住民の皆さんはこの放送を聞いて直ちに避難所に移動してください」
延坪島に14年住むパクさん(55)は普段と同じく昼食を取っていた時にこの案内放送を聞いた。5日午後12時30分ごろだった。直後に同じ内容を伝えるメールも届いた。パクさんは急いで延坪面西部里の第1避難所に向かった。避難所にはすでに複数の住民が集まっていた。パクさんは「2010年の延坪島砲撃事件の時を思い出した。他の住民の皆さんもみんなあの当時のことを語り合いながら不安を感じていた」「何事もないことをただ祈るだけだった」と語る。
延坪島やペンニョン島など西海北端の島はこの日午後はずっと非常事態が続いた。北朝鮮が午前9時ごろから11時ごろまでペンニョン島対岸の長山岬周辺、同じく延坪島対岸の登山岬周辺から200発の海岸砲を撃ってきたからだ。
延坪島には昼12時から30分間隔で計6回にわたり避難を呼びかける放送が流れた。延坪面事務所(町役場に相当)の関係者は「北朝鮮による挑発に続き、韓国軍からも延坪島で海上打撃訓練を行うとの連絡があったので、避難を呼びかける放送を行った」と当時の様子について語った。同じ時刻にペンニョン島でも韓国軍からの要請で「避難所に移動してください」と住民に呼びかけた。この日延坪島では508人、ペンニョン島では346人が避難した。避難指示は午後3時45分に解除された。2つの島には7000人以上の住民が生活しており、避難所は37カ所ある。
住民は十数年前の悪夢を思い出し不安を感じていた。延坪島に住むチョさん(58)は「ここ10年は韓国軍の訓練を理由とする避難指示はなかった」「住民は2010年の延坪島砲撃事件当時を思い出し不安を感じていた」と述べた。延坪島に73年住んでいるというパンさん(79)は「私は大丈夫だが、仁川にいる娘たちから何度も電話が来てとても心配していた」と語った。キム・ヨンシクさん(73)は「避難所には不安を感じて荷物をまとめてやって来る人たちもいた」「たまにあることなのでそれほど心配はしなかったが、何度も繰り返されないことを願っている」と述べた。
延坪島とペンニョン島を行き来する旅客船も運航を中断した。午後1時に仁川港を出発し延坪島に向かう予定だった旅客船コリアプリンセスは韓国軍の要請を受け出港を見合わせた。また昼12時30分にペンニョン島に向け出発した別のコリアプリンセスも仁川に引き返した。延坪島パッケージツアーを運営しているサンドゥルツアーのキム・ジュホ社長は「2010年の延坪島砲撃以降、客が全くいなくなって大変だったが、最近は南北関係が良くないので事業にまた支障が出ないか心配している」と語った。
イ・ヒョンジュン記者、コ・ユチャン記者