▲30日午前、ソウル市鍾路区の国立古宮博物館で開かれた大東輿地図還収メディア公開会。/写真=聯合ニュース

 朝鮮王朝時代後期の地理学者、古山子・金正浩(キム・ジョンホ)=1804-66、推定=が作った大東輿地図の新たな加筆本が日本から戻ってきた。文化財庁は30日、ソウルの国立古宮博物館で、国外所在文化財財団を通して最近取り戻した大東輿地図を公開した。国外所在文化財財団は、この地図を所蔵する日本のある古書店が売り渡しの意志を表明した後、資料検討、専門家評価などを経て宝くじ基金で購入した。

 目録1帖(じょう)、地図22帖、合わせて23帖からなり、広げると縦6.7メートル、横4メートルという大きさのこの地図は、従来の「大東輿地図」にはなかった地理情報を含む版本として注目された。「大東輿地図」は、1861(哲宗12)年に初めて制作・刊行され、1864(高宗元)年に再刊された22帖のびょうぶ式全国地図帳だ。現在、韓国内外に38点の版本があり、木版は国立中央博物館などに残っている。

 今回戻ってきた「大東輿地図」は、1864年の木版本に色を塗り、もともとの地図にはなかった地理情報を何者かが追加で筆写したもの。筆写された情報は、1856-59年に金正浩が編さんした地図「東輿図」に載っていた内容だ。

 「東輿図」は、金正浩が「大東輿地図」を木版で出す前、底本にするために作った地図で、朝鮮王朝時代の交通路や軍事施設などの地理情報とおよそ1万8000個の地名を載せた彩色筆写本だ。韓国の古地図の中では最も精密な地図と評されてもいる。しかし「大東輿地図」は木版で出すという限界があるため、「東輿図」の多くの地名や註記(地図の余白に領土の歴史、地図の製作法、使用法などを記しておくもの)を省略した。

 一言で表現すれば、今回の地図は「大東輿地図」と「東輿図」が一つの地図に収められている稀覯(きこう)本、というわけだ。文化財庁は「木版本の『大東輿地図』の限界を、『東輿図』の註記の内容を筆写して補完した初の事例と確認され、『大東輿地図』が普及する中で変容した形態とみられる」とコメントした。

 例を挙げると、白頭山一帯が描写された第2帖の場合、本来の「大東輿地図」の版本にはない白頭山定界碑や軍事施設の間の距離が筆写されている。鬱陵島一帯が描写された第14帖には、鬱陵島に向かう船の出発地などの内容が記されているが、これも本来の「大東輿地図」にはない。文化財庁は「朝鮮王朝時代の地理情報研究の範囲を拡張する契機になる資料」と評価した。

兪碩在(ユ・ソクチェ)記者

ホーム TOP