▲ホン・マルグンセム(洪清泉)四段/韓国棋院

 プロの夢をかなえられなかった恨みを抱いて韓国を後にした「大物」が、プライドの高い日本囲碁界で最高のプロ育成家として伝説を築き上げている。2005年に東京に洪道場の看板を掲げて以来、20年足らずで29人、総段位91段を誇る超豪華エリート・プロ棋士を輩出してきたホン・マルグンセム(42、日本名は洪清泉)四段だ。コロナの影響で帰国が4年ぶりになった彼に会った。

 「第47期棋聖戦の一力遼棋聖と挑戦者の芝野虎丸名人は、どちらも私の弟子です。挑戦手合が始まる前に二人に『どうしても観戦できそうにない』と言ったら、二人とも『先生の気持ちはよく分かります』と言っていました。対局結果だけを確認しています」。現在対局が進められている日本最高タイトルの棋聖戦七番勝負の話だ。昨年、阿含・桐山杯の優勝者となった平田智也七段、女子最強の藤沢里菜女流本因坊・女流名人も洪道場の出身だ。

 韓国国内で活動していた頃、彼は不運の代名詞だった。アマチュア大会で18回も優勝したにもかかわらず、6回にわたる入段挑戦はその都度失敗に終わった。結局、研究生を辞退し、プロ入りを諦めたものの、囲碁界を離れることはできなかった。

 2002年、世界アマチュア選手権大会で準優勝を果たした時、日本のアマチュア囲碁界の重鎮、菊池康郎(元緑星囲碁学園代表)の目に留まったことが人生の転機となった。子どもの育成に関するアドバイスを聞いて感動し、2004年に渡日を決行した。

 しかし、韓国の無名アマチュア青年に目を向ける人は誰もいなかった。まず、プロの段証が必要だったが、日本棋院理事会は外国人の入段大会出場を認めなかった。2009年、プロとアマが一緒に競うトーナメントで準優勝を果たすと、関西棋院が試験を経て研修棋士としての資格を与えた。2012年、ついに正棋士に昇格した。

 関西棋院は大阪、洪道場は東京にある。2カ所を渡り歩くことになり、時間の無駄を感じるようになった。ホン・マルグンセムは弟子育成に専念することにし、2019年に関西棋院に休職届を提出した。出世への道を閉ざしたわけだ。

 それでも疑問は残る。無名の外国人アマチュアがどうやって日本最高の道場を作り上げることができたのだろうか。山下、張栩、羽根などのレジェンドたちがこぞって二世をホン・マルグンセムに任せるようになった秘訣(ひけつ)は何なのか。「出会う人全てに真心を込めて接しました。信頼が築かれたので道が開かれました」と、人並外れた適応力で2年間にわたってプロ棋士会副会長まで務めた。

 「勝負のストレスに悩む院生たちには対話が必要です」と、彼は弟子たちと7-8人ずつのチームを組んで、東京と横浜の40キロを一緒に歩くこともあるという。「どんな話でも真剣に聞いてあげれば、たまっていたストレスが解放され、表情が一気に明るくなります」。死活問題も、チームを構成し、まるで遊び感覚で解決する。登山を通じた限界突破の訓練、年2回の合宿なども、洪道場ならではの伝統だ。

 彼は毎年、韓日両国で自分の名前を掲げた子ども大会を開く。2011年、父のホン・シボム氏と共同で出資し、「マルグンセムの子ども最強戦」を主催するようになって早10年が過ぎた。「ここまで成長できたことに対する感謝の思いで大会を作りました」。今回の訪韓も、今年の大会について会議するためだ。日本では2020年から「秀哉大相撲・子ども最強戦」を開催している。

 「日本に第一歩を踏み出した時は、一寸先も見えない状況でした。囲碁を習ったことを後悔したりもしました。しかし、多くの人々と触れ合い、夢に向かって前進できるようにしてくれたのが囲碁なんです」。彼は100人のプロ棋士を輩出すること、そして全世界が囲碁につながることで幸福を共有できるプラットフォームを構築するのが今後の夢だと話した。

イ・ホンリョル囲碁専門記者

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