2012年に韓国の窃盗犯が日本の寺から盗み、韓国に持ち込んだ高麗時代の仏像「金銅観音菩薩坐像」について、二審の大田高裁は1日、所有権が日本の寺にあるとの判決を言い渡した。仏像をめぐっては、忠清南道瑞山市の浮石寺が所有権を主張し提訴しており、一審では原告の浮石寺が勝訴していた。

 仏像は長崎県対馬市の観音寺にあったもので、12年10月に韓国の文化財窃盗犯によって韓国に持ち込まれ押収された。高さ50.5センチ、重さ38.6キロで、1973年に長崎県の指定文化財に登録されており、現在大田国立文化財研究所に保管されている。

 日本政府が仏像返還を要求する過程で、16年に浮石寺が「高麗時代に倭寇によって略奪されたものだ」として、仏像を保管していた韓国政府を相手に仏像の引き渡しを求める訴訟を起こした。韓国政府を相手取る訴訟だが、事実上浮石寺と日本の観音寺による仏像所有権紛争だ。

 浮石寺は「1330年ごろ、瑞州(瑞山の高麗時代の旧称)にある寺に奉安するために仏像を製作した」という仏像内の結縁文に基づき、「倭寇に略奪された仏像で、浮石寺が元所有者だ」と主張した。これに対し、2017年1月、一審は「倭寇が正常ではない方法で仏像を持ち去ったとみるべきだ」として、浮石寺側の主張を認めた。

 政府に代わり訴訟を担当した韓国検察は「仏像と結縁文の真偽を明確にすべきだ」という理由で控訴した。日本の観音寺側は昨年から被告の補助参加人として二審の裁判に加わった。観音寺側は「観音寺を創設した人物が1527年に朝鮮から日本に戻る際、仏像を譲り受けて持ち帰った」と主張した。

 大田高裁は「1330年に浮石寺が仏像を製作したという事実関係は認められ、倭寇が略奪して不法搬出したとみるに足りる証拠もある」としながらも、「当時の浮石寺が現在の浮石寺と同じ宗教団体だという立証がなされておらず、所有権を認めることは難しい」と判断した。また、「(少なくとも観音寺が法人として設立された)1953年から仏像が盗まれる前の2012年までの60年間、観音寺が仏像を占有し、すでに取得時効(20年)が完成しており、(観音寺に)所有権が認められる」と指摘した。

 浮石寺は判決を不服として上告する構えで、最終判断は最高裁に持ち込まれる見通しだ。

禹正植(ウ・ジョンシク)記者

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