▲「日帝強占期に日本人農場主が金塊を埋めて隠した」と光復会が主張している農場内の建物。写真はその内部の階段と床。/光復会提供

 全羅北道益山市で「かつて日本人農場主が居住していた建物に大量の金塊が埋められている」とのうわさが広がっている。光復会は「問題の建物の床が掘り返された」と主張しており、文化財庁などに調査と捜査を依頼する予定だ。

 

 光復会は今月2日「日本人の隠し財産、益山の金塊2トンは消えたのか! 埋められた場所を掘り返せ」と題された文書を公表した。その中で光復会は「日本人農場主が隠して埋めたと強く疑われる建物奥の階段下コンクリートの床が最近掘り返され、地下に穴を掘った痕跡と、後からしっかりと原状復帰せず板を適当にかぶせた形跡を発見した」と伝えた。

 「金塊が埋められている」といううわさは今年3月から広がり始めた。1914年に益山市珠峴洞に建設されたこの建物はかつての農場の事務所で、その地下に1400億ウォン(約134億円)相当の金塊が埋められているという。「日本人農場主の孫が所有権を主張し掘り返そうとしている」とも伝えられている。

 光復会は今年8月、益山市に埋蔵物の発掘と事前の調査を申請した。国民の財産を略奪して得られた疑いのある日本人の金塊を掘り返し、国に帰属させるためだという。しかし益山市は「この建物を抗日独立記念館として復元する事業に支障が出る恐れがある」との理由で許可しなかった。光復会は9月に全羅北道行政審判委員会に益山市の処分取り消しを求める請求を行った。これを受け10月に行政審判委員会が現場検証を行ったが、その際に「階段下のコンクリートの床が最近掘り返された痕跡が発見された」と光復会が説明している。光復会は「文化財の建物の頑丈な床が最近掘り返された。盗掘が行われたか確認するにはより詳しい事前の調査が必要だ」と主張しているが、行政審判委員会は最終的に請求を棄却した。

 光復会は「事前調査は建物の床を毀損することなく短時間で終わるのに、益山市はなぜ申請を不許可としたのか。1年にわたり放置された日本人農場の復元事業を緊急の予算を使ってあたふたと行ったのか。あるいは誰がなぜ頑丈な床を掘り返し、これを放置しているのか明確な検証と説明をすべきだ」と主張している。光復会は「日本人農場の事務所の地下に埋められた文化財と、国の財産である金塊などが本当に盗掘されたのか。この点について文化財庁などに調査と捜査を依頼したい」との考えも示した。

 益山市の関係者は「問題の建物は三・一運動100周年記念事業である抗日独立運動記念館建設事業の対象となっている。埋蔵物の探査や発掘よりも、記念館造成事業の方が市民の利益により合致すると判断し、許可はしなかった」と説明した。この関係者はさらに「抗日独立記念館として活用するため、古い2階の階段、柱、桁などの復元工事を行う際、床に埋められた跡が残った」「浅く掘られたので盗掘の痕跡とは考えられない」とも指摘した。

 かつて日本人が所有していた古い建物は事務所を含む三つの倉庫などからなる。日帝強占期に米を供出するため建てられた倉庫用の建物で、独立後はしばらく華僑協会が学校として使用していた。その後、すぐ隣のカトリック教会が駐車場用に所有していた敷地と建物を益山市が抗日独立記念館として活用するため昨年末に買い取り、現在補修工事が行われている。全羅北道地域における農業収奪の歴史を伝える建物と評価され、2005年に国家登録文化財に指定された。

イ・ガヨン記者

ホーム TOP