▲2017年9月19日、ソウル市竜山区の国立中央博物館に「粉青沙器李先斉墓誌」を寄贈した等々力邦枝さん。等々力さんは「今回の寄贈が韓日友好の絆として残ることを祈る」と語った。/写真=朝鮮日報DB

 2014年、それまで公開されたことのない最上級の高麗螺鈿(らでん)漆器の作品が日本で発見された。黒漆の地に貝殻で菊唐草の文様を細かく表現した八角盒(ごう)。愛知県陶磁美術館は、特別展「高麗・朝鮮の工芸」でこの螺鈿を初めて公開し「14世紀後半の高麗時代の作品で、これまで知られていなかった秀作」と紹介した(2014年10月21日付本紙)。

 この国宝級の螺鈿漆器盒が、700年ぶりに故国へ戻ってきた。サムスン美術館Leeumが2015年末に日本人の所蔵家からこの作品を購入したという事実が、後になって確認された。10月8日に再オープンしたLeeumの古美術常設展を通してのことだ。四つの階を全面改編し、所蔵品154点を新たに披露する常設展において、「螺鈿八角盒」は注目度が最も高い1階「国宝ジャン」(ジャンは木偏に藏の字)に置かれた。高さ8センチ、幅16.4センチ。細かく切った貝殻片を緻密に組み合わせた菊の花びらが、照明を浴びてきらきら輝いている。Leeumのイ・スンへ責任研究員は「国宝級だけを展示する、一番良い場所」とし「国宝『伽耶金冠』が置かれていたメイン陳列場に、大切な螺鈿を新たに収めた」と語った。

 

■いかにしてLeeumの懐に収められたのか

 7年前の発見当時、韓国の学界は「鳥肌が立つほど精巧な貝殻の文様が際立つ秀作」と歓呼した。高麗螺鈿漆器は青磁、仏画と並び高麗美術を代表する最上級の工芸品だが、実物は極めてまれで、これまで世界で確認されたのはわずか16点。この作品は保存状態が極めて良好な上、これまで唯一の八角盒という形態から注目を集めた。本紙の記事でニュースを知った相当数の専門家が日本の展示場を訪れ、実物を鑑賞したという。

 韓国文化財庁の国外所在文化財財団も、作品を購入するため現地調査に乗り出していたことが確認された。財団関係者は「日本の所蔵家と接触し、韓国国内の螺鈿関連の専門家らの検討まで経たが、価格が極めて高く、高麗時代ではなく朝鮮王朝時代の作品である可能性も浮上し、財団がこれ以上乗り出すのにはさまざまな面で負担があった」と語った。

 それなのにどうしてこの作品がLeeumにやって来たのか。Leeum側は「2015年に開かれた『細密可貴』特別展が決定的なきっかけだった」と明かした。当時、Leeumは世界に散らばる高麗螺鈿のうち8点を英国・米国・オランダ・日本から借りて展示し、観客は緻密に刻まれた文様と幻想的な輝きに目を奪われた。Leeum関係者は「名品を1点1点借りてきて1カ所に集めたことで、高麗螺鈿がどれほど貴重で重要なのかが分かり、所蔵の必要性を切に感じた」と語った。崔応天(チェ・ウンチョン)国外所在文化財財団理事長は「展示を準備する過程でLeeum側はこの作品の存在を知り、ちょうど日本人の所蔵家も売ろうと言う意思があり、購入が実現したらしい」と伝えた。

 

■「李先斉墓誌」を寄贈したあの日本人

 興味深いのは、日本人所蔵家と韓国との縁だ。2017年に「粉青沙器李先斉墓誌」を韓国へ寄贈した等々力孝志さん(1938-2016)がその主人公。「李先斉墓誌」とは朝鮮王朝の世宗・文宗時代の文臣、李先斉(イ・ソンジェ)の墓に埋められていた副葬品で、粉青沙器に象眼の技法を使って文字を刻んだ墓誌(個人の業績を記して墓に埋める石や銅板など)だ。盗掘に遭った後、1998年に日本へ違法に持ち出されたが、等々力さんはこの事実を知らずに購入した。

 ところが、本紙98年9月2日付の記事を通して「李先斉墓誌」が違法に持ち出された事実を国外所在文化財財団が確認し、財団関係者が示したその記事を見た等々力さん夫婦が後になってその事実を知り、墓誌を韓国へ寄贈したのだった。夫が他界した後に開かれた寄贈式で、妻の等々力邦枝さんは「今回の寄贈が韓日友好の絆として残ることを祈る」と語り、感動を与えた。夫の孝志さんも生前「李先斉墓誌は私にとって最も大事な美術品の一つだが、先祖を祭る気持ちは韓国も日本も同じなので、芸術的価値以上に重要なものがある」と語っていたという。

 崔応天理事長は「他界した等々力さんは多数の韓日の美術品を所蔵していた有名なコレクター」とし「闘病中の等々力さんが生涯大切にしていた所蔵品を整理する過程で、Leeumと縁ができたらしい。李先斉墓誌に続いて、貴重な螺鈿作品が韓国に戻ってきたという点だけでも歓迎すべきこと」と語った。

 

■形だけでなくディテールも独特

 高麗螺鈿漆器は、既に当時から名声高かった。12世紀の宋の使臣・徐兢が、『高麗図経』で「高麗の螺鈿技術は細密で貴重なもの」「極精巧」と激賞したほどだ。専門家らは、その理由として(1)非常に細かく切った貝殻片を組み合わせて作る緻密な模様(2)2本の針金をよって外郭線を飾る難しい技法(3)タイマイの甲羅(べっ甲)の裏側を彩色して器の表面に張り、赤・だいだい色・黄色が幻想的な輝きを放つ技術は、中国・日本にはない高麗だけのものだから-と説明する。

 今回の作品は、菊と唐草文がふたと本体をびっしり覆い、唐草文の葉の部分が曲線を描いてゆらめきを帯びている。ふたと本体の角の部分には細い針金が2本入っている。だが、八角形という独特の形だけでなく、細部の描写にも特異な点がある。イ・ヨンヒ元国立中央博物館保存科学部長は「螺鈿を切り取る加工法や文様の細かなディテールは典型的な高麗様式」としつつも「通常、高麗螺鈿は外郭線に2本の針金をよって入れるのに、この作品ではそれが見えない」と指摘した。Leeumのイ・グァンべ責任研究員は「2本より合わせて入れる針金の代わりに、『一』字型の針金で済ませた。花同士をつなぐ枝も、針金ではなく薄い螺鈿で切り貼りしている点も異色」と語った。

 Leeumがこの作品を「高麗螺鈿」と断定せず、「高麗末-朝鮮王朝初期」(14-15世紀)に範囲を拡大した理由はここにある。Leeum側は「14世紀の高麗末期の作品だと思うが、朝鮮王朝時代にまたがっている可能性があり、範囲を広げておいた」と説明した。7年前の愛知県陶磁美術館は「高麗、14世紀後半」と紹介しつつも、図録では「高麗末期から朝鮮王朝初期にかけての過渡期の姿を示している」と付け加えていた。

 これで韓国は、完全な形の高麗螺鈿漆器の作品を4点保有することになった。昨年は、文化財庁と国外所在文化財財団が日本のまた別の個人コレクターから購入した高麗螺鈿菊花唐草文盒を公開し、話題になったこともある。イ・ヨンヒ元部長は「サムスン側が今年4月に李健熙(イ・ゴンヒ)コレクションを国へ寄贈し、全国民が享有できるようにしたのに続いて、Leeum美術館が日本で発見された貴重な螺鈿まで故国に取り戻したので安心」とし「海外に持ち出された国宝級の遺物が戻ってきたという点で、拍手を送りたい」と語った。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

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