▲写真=Beowulf Sheehan

 時計をちょっと昨冬に戻してみよう。映画『ミナリ』がゴールデングローブで作品賞ではなく外国語映画賞候補にノミネートされ、論争が起きた。監督とキャストの多くは米国人だが、せりふはほとんど韓国語だという理由からだった。韓国系移民一家のアメリカン・ドリームを抒情的に描き、アカデミー賞を取ったこの作品すらも、スクリーンの外では「差別」から自由ではいられなかったのだ。韓国系米国人の俳優ダニエル・デイ・キムはツイッターで、このニュースを伝えつつこのように皮肉った。「私たちの国は米国なのに、『お前の国に帰れ』と言われるのと全く同じこと」

 最近韓国語版が出た『マイナー・フィーリングス』(MATI BOOKS刊)は、アジア人に対するこうした差別がどれほど巧妙かつ執拗(しつよう)なものであるかを暴いている。著者のキャシー・パーク・ホン(45)は、移民第1世代の両親の下で生まれ育った韓国系米国市民。彼女は本紙の書面インタビューで「ドナルド・トランプ前大統領の当選後、白人優越主義が台頭する中、アジア系米国人のアイデンティティーについて書くことが切に必要になった」と語った。同書は、米国で昨年初めに出版された。新型コロナでアジア系に対するヘイトクライムが急増した今年、ニューヨーク・タイムズ紙にベストセラーとして取り上げられ、ピュリツァー賞ノンフィクション部門の最終候補にも挙がった。

 同じ有色人種であっても、米国社会でアジア人のイメージは黒人やヒスパニックとは異なる。しばしば、アジア人は問題を起こさず、勤勉誠実な「模範的マイノリティー」と見なされる。アジア系に対する差別もあまり現れないが、これは差別がないとか深刻ではないということではなく、アジア人自体が存在しないかのように認識されているからだ。「アジア人は存在感が別にない。われわれは、真のマイノリティーと見なされるだけの存在感すら十分に有していない」。著者は「生きてきた経験が完全に黙殺され、認知されない場所でマイノリティーが感じる鬱屈(うっくつ)、不満、ヒステリーといった感情を『マイナー・フィーリングス』(少数的感情)というタイトルに込めた」と語った。マイノリティーの感情も決してささいなものではない、という意味だ。

 キャシー・パーク・ホンは「(差別は)これまで生きている間ずっとそうであったし、私が生まれる前もそうだった」としつつ「米国は極めて深い場所から分断された国」と語った。移民者の国・米国の力動性を「メルティングポット」(るつぼ)や「サラダボウル」になぞらえることもあるが、彼女は「人種問題はあまりに複雑で、どの暗喩もぴったりと当てはまらない」とし「それ(暗喩)は神話にすぎない」と語った。

 同書が出た後、周辺の移民第2世代が熱狂的な反応を示したという。キャシー・パーク・ホンは「自分の経験や感情を全く同じように確認できたと語る他の人種、黒人・ラテン系・イスラム系読者の反応も驚異的だった」と語った。ここから、「白人がごく普通」という神話に対抗する非白人連帯の必要性や可能性が捉えられる。彼女は、韓国語版の序文に「平等のための米国黒人の闘争がなかったなら、私たちの両親をはじめとする数多くの家庭が、米国に移民するチャンスすら享受できなかっただろう」と記した。

 米国と状況が異なる韓国の読者は、やや温度差を感じることもあり得るだろう。キャシー・パーク・ホンは「韓国人は韓国に住む白人に、東南アジア人や黒人とは正反対の態度で接する」とし「白人優越主義がどれほど根深いか、世界的に人種主義がどれほどありふれているかを悟ることになればうれしい」と語った。世界的な人種主義から韓国だけは例外ということはあり得ず、平等に向けて進んでいく連帯から韓国だけは列外に残るということはできないからだ。

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