文化総合
ガラスの箱の上にすらりとした軒…21世紀のハイブリッド韓屋
今の時代、韓屋はどうあるべきだろうか。その形態や建築材料、さらには技法に至るまで伝統を踏襲しなければ韓屋とは呼べないのだろうか。あるいは新たな形を取り入れ、その中に韓屋の精神を形として残すやり方こそ合理的なアプローチとは言えないだろうか。
ソウル市鍾路区昌信洞の女談斎はこの問い掛けに対し、現代韓屋としての一つの可能性を提示してくれた。現代式コンクリート製の低層部の上に伝統韓屋が置かれた独自の形だ。設計を担当したのは慶煕大学建築学科のチョン・ジョンファン教授。先週ここでチョン教授から話を聞いたとき、チョン教授は「古い建物が持つ潜在的な力を最大限生かした結果だ」と説明した。ソウルの都心に近い場所で今年5月にオープンしたこの建物は、女性史の研究・教育やそれに関連するイベントなどへの活用を想定した文化空間だ。訪問客は図書室の蔵書の閲覧はもちろん、展示物の観覧もできる。平日は午前9時30分から午後6時まで(9月から土曜日もオープン予定)。現在はコロナの影響で来館には予約が必要だ。
以前はこの地に寺があった。都心の寺は山寺とはその姿が違う。ここにあった寺も現代式の低層部の上に韓屋が置かれた構造だった。低層部は僧侶が生活する寮舍、上の韓屋は大雄殿(本堂)だった。チョン教授は「建物の断面図を想像してみたら、ここで起居する人間の空間と仏像のある神聖な空間が一つの建物の上と下に断絶された姿を思い描くことができた。それ自体がポストモダンだった」「言い換えれば『阿修羅(あしゅら)伯爵』のようなおかしな組み合わせかもしれないが、少し手を加えればどこにも見られない建物になる可能性があると考えた」と語る。
寺が周辺に移ったのはもう10年以上も前だが、その後建物は放置され、寂しく廃れていった。そのためソウル市が買い取り、リフォームを行おうとした際に周辺住民から「建物を撤去して新しく建設してはどうか」との声が相次いだという。しかしチョン教授は「最初から新しいものを建ててしまうと、どこにでもある平凡な建物になると考えた」と語る。そのため「韓屋と現代建築のハイブリッド(混合式)」という従来の形は維持することになった。ただし大雄殿外壁の仏教壁画は撤去し、宗教色をなくすことにした。
チョン教授は韓屋の建築家ではない。だからこそ「韓屋の専門家ではないので新しい試みに抵抗がなかったのだろう」と語る。例えば以前からあった大雄殿の壁を撤去し、柱の間を鉄で補強したのは通常の韓屋からは簡単に下せない決断だった。このように開かれた空間となった大雄殿内部は真っすぐな箱形のガラス構造物となった。2階に相当するこの「ガラスの箱」は柱よりも少し内側に設置されている。「ぎっしり満たすのではなく、余裕を持たせる韓屋の空間感覚を応用しました。文化財というよりも今の時代に新たに建てた韓屋なので、形よりも空間という側面からアプローチすべきと考えました」。
ただし軒の曲線はデザインの重要な鍵となる。チョン教授は「軒は建物をすっきりさせるし、形態も美しい。その曲線美はまねをして出せるものではない」「屋根の軒と(現代式構造物と)のギャップから来る効果を期待した」と語る。
土地が持つ歴史とのつながりも緻密に考慮されている。女談斎のすぐ横にある亀岩は端宗の王妃だった定順王后にゆかりがある。「『端宗が亀に乗って昇天した』という夢を見た王后がここに来ると、その場所に岩があった」という伝説が古くからこの地に伝えられてきた。朝鮮王朝時代に生きた女性のエピソードが残るこの地に女性の文化空間を建設するということで、チョン教授は図書室に亀の甲羅を連想させる書架を自らデザインした。亀岩の近くに、「屋根流説」を残したイ・スグァン(1563-1628)が起居した庇雨当も復元されている。わらぶき家屋と女談斎は視覚的に自然につながる。女談斎はマンションに囲まれた韓屋ではあるが、何かポツンと浮いたようには感じられず、ある意味この地で行われてきた建築の自然な帰結のようにも感じられた。