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東京五輪:G.G.佐藤「13年前の韓日戦で凡フライを落として逆賊扱い、失敗学講師として再起」(1/2)
「あの日の失敗が私を立ち上がらせた」G.G.佐藤さんの愉快なインタビュー
五輪大会の野球競技で韓日戦と言えば、やはり2008年北京五輪の「G.G.佐藤」を思い出す。韓国との準決勝で8回、高永民(コ・ヨンミン)の平凡なフライを落とし、「日本の逆賊」とたたかれた選手だ。あれから13年間、どのように過ごしてきたのか気になっていた。あちこち尋ね回ったところ、G.G.佐藤さんはインターネット放送局で今月4日の東京五輪野球競技・韓日戦中継に出演する予定であることが分かった。その日の夜、東京・銀座のスタジオを訪ねて中継する様子を見守った。
韓国と日本が2-2のまま突入した8回表。G.G.佐藤さんは言った。
「8回になったら少し怖くなってきましたね。北京の時も韓国が8回に逆転して勝ったんです。おかげで、私は韓国の英雄になりました。韓国の朝鮮日報も今、私が13年ぶりの歴史的な中継をするところを見に来ています」
「近藤健介選手、今日『G.G.近藤』になるピンチです。ともすれば私のようになってしまうから気を引き締めて! 関連検索ワードに『エラー』と出る人生にしたいですか!?」 (レフトの近藤健介はこの試合で日本が0-2とリードした6回表、朴海旻(パク・ヘミン)の打球処理でもたついて2-2の同点になるきっかけを提供した)
韓国は8回表で無得点に終わり、8回裏の日本の攻撃が始まった。
「山田、頼む、山田、お願い…。あああっ、よくやった山田!」 (山田哲人は二死満塁で3打点となる二塁打を打った)
日本が5-2とリードしたまま迎えた韓国の9回表の攻撃。朴海旻のセカンドゴロを最後に試合が終わった。日本が5-2で勝った。G.G.佐藤さんは突然泣き出した。「星野監督、今、天国で見ていますか!? 13年かかかって今日、日本が勝ちました。これまで本当に申し訳ありませんしました!」。そして、涙をふいて言葉を続けた。「でも、韓国はやっぱり強いですね。最後までヒヤヒヤしました」
試合が終わった後、G.G.佐藤さんと向かい合って話を聞いた。マッコリを飲みながら中継していた佐藤さんは酔いが回っているところに涙まで加わり、赤くなった目で言った。
今月満43歳になるG.G.佐藤さんの本名は「佐藤隆彦」だ。2008年夏の北京五輪まで、彼の野球人生は平たんだったが、「世紀の落球」と呼ばれる失策後は紆余(うよ)曲折があった。
-今日はどうしてマッコリを飲んだんですか?
「韓国に勝とうという意味で飲みました。日本には『相手をのむ』という言葉があるんです。おかげで今日、日本が勝てたのではないでしょうか」
-韓国で「ありがとうG.G.佐藤」と呼ばれていることを知っていますか?
「最近、ある日本の記者が教えてくれて知りました。『韓国でG.G.サンキューって呼ばれているのを知っている?』って」
-その試合以降、韓国では相手選手がミスすると、「ありがとう○○」と言うのがはやっています。
「そうですか。近藤、今日危なかったな! 『ありがとう近藤』になるところだったから。だけど、韓国の人たちが私のことを知っているなんて不思議ですね。韓国語でSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やってみましょうか?」
-韓国チームに「ありがとう」と思った選手はいますか?
「あえて『ありがとう』と言うような選手はいないですね。正直言って、韓国の選手たち全員を尊敬していると言いたいです。欠点を挙げたいと思うような選手は1人もいませんでした。むしろ、韓国が東京五輪に出てくれてありがたいと思っています。新型コロナのために参加しない国もありますから」
-最も印象的な選手は誰でしょうか。
「韓国の5番打者・金賢洙(キム・ヒョンス)は本当に最高です。彼が20歳の時に北京で会ったけど、30代のベテランになっても東京で大活躍しました。北京の時の金賢洙のことは今もすごくはっきり覚えています。本当に印象的でした。長い間、ずっとよくやっているということがどれだけ難しいことか分かるので、彼のことを『超リスペクト』しています」
東京=ヤン・ジヘ記者