▲ソウル市鍾路区仁寺洞79番地の公平区域都市環境整備事業敷地で29日午後、文化財庁、首都文物研究院など関係者らが遺跡の発掘調査を行っているところ。/写真=聯合ニュース

 ソウル・仁寺洞の地中からあふれるように出てきた朝鮮王朝時代前期の金属活字およそ1600点と水時計の部品、朝鮮王朝時代の銃器である「銃筒」などの共通点は、全て金属遺物という点だ。このうち、金属活字と水時計の部品は土器のつぼに入れられた状態で見つかり、残りの遺物はつぼの周りから出土した。活字を除くと、全て一定の大きさにわざわざ折って埋めたことが確認され、活字の一部は火で焼かれてくっついた状態で出てきた。

 

 誰が、一体なぜ、ソウル・鍾路の中心部に金属遺物を集めて埋めたのだろうか。発掘地点はピマッコルに隣接する仁寺洞79番地。オ・ギョンテク首都文物研究院長は「朝鮮王朝時代前期までは漢城府の中部8坊の一つで、経済・文化の中心地である堅平坊に属していたが、遺物が出土した場所は、当時ソウル市内でよく見られた平凡な民家の倉庫と推定される」としつつ「だが、出てきた遺物は一般の民家で所有していそうな物ではなく、ミステリーだ」と語った。

 研究院側は「出土した金属品は全て純銅に近く、当時としてはかなり高価な金属だった」とし「誰かが金属品を、後で溶かして別の物に『リサイクル』するため故意に埋めた」と推定している。オ院長は「製造年代が分かる遺物のうち銃器の小勝字銃筒は1588年に作られ、最も古い方。なので、1588年以降のある時点でまとめて埋めたが、その後事態が急変して掘り返せない状況になったようだ」とし「例えば、1592年の壬辰(じんしん)倭乱(文禄の役)のような戦乱により掘り返せなくなったのではないかと推定される」と語った。

ホーム TOP