話題の一冊
「ギャル」は性的挑発か、それとも日本の偽善の暴露か
米国人学者の書いた日本探究書
R・ターガート・マーフィー著『日本の呪縛』(文の甕〈かめ〉刊)
制服のスカートを下着が見えそうなほど短くしてむっちりした太ももをあらわにし、ぶかぶかの白いハイソックスを膝下にだらんとはいて歩き回る若い日本女性。「ギャル」と呼ばれるこの女性たちのファッションについては、日本人ですら「性的に挑発している」と錯覚している。しかしながら、米国出身で筑波大学で国際政治経済学の教授を務めた著者は語る。「ロリータ・ファッションや、あきれるほど短いスカート身に着けた十代の少女たちは、変態たちに性的な誘惑をしようとしているわけではない。彼女らはむしろ、千編一律なセーラー服の中に女性性を隠す伝統的な日本の女性性が強要されてきた裏には、女性の性的な力に対する恐れが潜んでいるという事実を見抜いている、と叫びたいのだ」
オックスフォード大学出版部の「What Everyone Needs to Know(誰もが知る必要があること)」シリーズの一冊として出版された本書において、著者は、西欧人の視線で日本を解剖する。およそ40年にわたり日本で暮らしているが、彼にとって日本は依然として「矛盾の国」だ。「日本での成功は矛盾を矛盾と考えない能力に懸かっている、とまで言える」。社会の構成員らが全て予測可能な範囲内で行動するように仕向ける制度と慣行は、日本人が矛盾に感づかないせいで、意図的かつ集団的に決定したかのように見せる場でしばしば現れる。無能な組織構成員を管理するやり方が、その代表例だ。「日本の組織では、誰かの目に付くほど無能であっても解雇されない。その代わりに皆が、教えてもらわなくても、その人物は注意対象であると『知る』。その人物がやっていたあらゆる重要な仕事は、半ば自動的にダブルチェックされたり、ほかの人が代行したりする。だがその人物が業務不適格だという公式の評価はどこにもない」
セックスは、江戸時代に華麗に花開いた大衆文化を動かす、公々然としたルーツにして原動力だった。芸者を中心に「社交の世界」が形成され、風流界のセックス産業から芸術が誕生した。歌舞伎は、17世紀前半に初めて登場したころ、まるで現代のストリップ・ポール・ダンスのようなものだった。著者は「後年、日本人が西洋人の道徳観念に神経を使い始める中で、伝統的な日本の芸術のルーツは意図的に隠された」と語る。お見合い結婚にせよ性売買にせよ、武士の間の同性愛(衆道)にせよ、大部分の性関係は二人のうち片方からの一方的要求に基づいて不平等に結ばれていた時代。人々の「ファンタジー」は、「互いの間に真の愛情が行き来するセックス」だった。だからこそ、浮世絵として主に制作されたこの時代の春画には、当時大部分の人々が切に願っても得ることのできなかったもの、すなわち愛し合う人間同士のロマンチックな関係の派生物である情熱と興奮が盛り込まれた。著者は「江戸時代の多くの出版物が偉大な芸術作品でもある理由は、このため」と解釈している。
平安時代から現代に至るまでの歴史的な流れと共に、日本の政治・経済・社会・文化について指摘した一冊。概観書ではあるが、論旨や観点は明確だ。著者は「日本の右翼は中国との共存よりも日米同盟を好むが、米国のエリート指導層は日本を米国の軍事的アセット(資産)、夢をかなえるための道具くらいにしか考えていない」とし「過去史を謝罪した後、再びアジアの一員に戻る方がまし」と主張する。韓国との関係、とりわけ慰安婦問題についての見方は特に明確だ。著者は「多くの日本男性、とりわけ自民党を支持し、国粋主義メディアに記事を書く人々にとって、韓国がこの問題を提起するのは『性に関することは公に語らない』という東アジア特権層男性の間の暗黙の了解に違反する行為だ。彼らは、韓国がこれに違反することに対して怒っているが、なぜ怒るのかについては口をつぐむしかない」と記した。「だから彼らは、言葉はきちんと言えずに怒っている状態になってしまう。この感情を、外部の人間はうまく理解し難いが、みんなからいじめられて母親のスカートの陰に逃げ込む子どものようでもある。母親の広いスカートに抱かれて、靖国神社を参拝したり高校の教科書を修正したりする行動で、韓国と中国に対し冷やかしの表情を浮かべてみせるのだ。だが米国は、母性愛にせよ何にせよ、日本にいかなる種類の愛情も持っていない」
日本を眺めるさまざまなレンズの一つだと思って参考にするとよい書籍だ。膨大なテーマを1冊で扱っているため、精密さはやや落ちるが、膝を打つ洞察が各所で輝いている。日本題は『日本-呪縛の構図 -この国の過去、現在、そして未来』。660ページ、3万2000ウォン(約3010円)
クァク・アラム記者