野球
呉昇桓300セーブ、日本でも賞賛の声…元阪神の仲間ら「彼の球は衝撃的」
呉昇桓(オ・スンファン、38)=サムスン・ライオンズ=が韓国プロ野球(KBO)リーグ300セーブを達成したというニュースは、韓国国内だけでなく日本でも話題だった。呉昇桓と共に阪神で継投陣の1人として活躍した福原忍・現投手コーチは「初めてあのボールを見た時の衝撃は忘れられない。300セーブを達成されたということで、自分の家族のことのようにうれしい」と、当時阪神の監督だった和田豊・現球団本部付テクニカルアドバイザーは「彼がいた2年間、どう呉昇桓にどうつなぐかということだけを考えていた。素晴らしい記録を打ち立てられたことに敬意を表する」と語った。
呉昇桓はそれほど圧倒的なリリーフエースだった。日本のセ・リーグで2シーズンプレーしたが、2シーズンとも最多セーブ投手になった。韓米日通算では422セーブ目を手にした。アジア人投手としては日本の岩瀬仁紀(407セーブ・防御率2.31)を上回り、過去最多記録だ。呉昇桓は「韓米日通算500セーブに挑戦したい」と新たな目標を掲げたが、野球史上、通算500セーブを超えた選手は「リリーフの伝説」マリアノ・リベラ(652セーブ・防御率 2.21)とトレバー・ホフマン(601セーブ・防御率 2.87)の2人だけだ。1リーグで300セーブ以上をした投手のうち、通算防御率が1点台(1.82)であることも、4人の中で呉昇桓が唯一だ。
呉昇桓が記録した韓国プロ野球リーグの299セーブ目は13日のハンファ・イーグルス戦、300セーブ目は25日の起亜タイガース戦で出た。セーブを1つ追加するのに12日もかかった。サムスンはこの間、大勝するか大敗するかのどちらかで、中盤までリードしていても途中で逆転されることも多かった。呉昇桓はブルペンで体を温めていたものの、登板機会が突然なくなる様子を黙々と見つめるばかりだった。このような「無限待機の人生」も17年目だ。呉昇桓は2005年にサムスンに入団して以来、一度も先発投手として登板せず、ひたすら後ろを歩いて締めくくる投手としてのみ登板してきた。金炳賢(キム・ビョンヒョン)、具台晟(ク・デソン)、金竜洙(キム・ヨンス)、林昌勇(イム・チャンヨン)ら歴代のリリーフ投手の先輩たちとはそうした点で違う。
呉昇桓の重いストレート、いわゆる「石直球」は悲しみの中で堅くなった。高校在学中にひじの故障でプロ入りに失敗、檀国大学入学後に当時としては国内で前例があまりなかったひじの靱帯(じんたい)接合手術「トミー・ジョン手術」を受けて2年間リハビリに専念した。大学リーグを経て2004年に行われたドラフトに臨んだが、斗山ベアーズやLGツインズなど首都圏のチームには無視され、5回目に指名権があったサムスンが選択した。呉昇桓は2005年にデビューし、1年目に公式戦で10勝、16セーブ、11ホールド、防御率1.18を達成、新人王はもちろん、韓国シリーズ最優秀選手賞(MVP)まで獲得した。 KBO通算100セーブ(2007年)と200セーブ(2011年)も過去最少試合数で打ち立て、入団16年にして300セーブの大台に達した。大卒選手ということで、ほかの選手たちよりもスタートが遅かった上、日本や米国などへの海外進出により6年間、韓国で空白期間があったにもかかわらず、現役2位(チョン・ウラム・183セーブ)の手には届かないほどの差をキープ、新たな歴史のページを書き加え続けている。
「サムスン王朝」の強固なブルペンを共に支えた鄭現旭(チョン・ヒョンウク)サムスン投手コーチ(42)は、間もなく不惑の呉昇桓が1点差の勝負で空振り三振に仕留め、300セーブを達成すると、「後輩だが本当に尊敬する。常に呉昇桓らしさがある」と笑顔で語った。