▲慶尚南道昌寧郡校洞63号墳の石槨(せっかく)内から金銅冠、金耳飾、玉の頸飾(けいしょく)など被葬者の装身具が露出している様子。/国立伽耶文化財研究所

 伽耶人か新羅人か。慶尚南道昌寧郡校洞の古墳から金銅冠など新羅の装身具が大量に出てきた。発掘団は「5世紀後半から6世紀初めの非火伽耶の支配層の墓」と発表したが、被葬者の体を覆っていた装身具類は全て新羅の遺物で、古墳の性格を巡って今後論争が大きくなるものとみられる。

 文化財庁国立伽耶文化財研究所は10月28日、昌寧郡校洞とソンヒョン洞の古墳群(史跡第514号)で、盗掘されていない校洞63号墳を過去1年にわたり発掘してきた成果を発表した。高さ21.5センチの金銅冠をはじめとして、冠の左右に飾りとして長く垂らす金銅垂飾や金銅装飾棒、太環式耳飾1組、ガラス玉の頸飾(けいしょく)、 銀指輪4点、銀帯など「頭から腰まで」装身具がそろって出てきた。研究所は「履物が発見されなかっただけで、今年9月に話題になった慶州皇南洞の新羅貴族の女性の墓とそっくりの構成」とコメントした。

 校洞63号墳は盛り土の直径21メートル、高さ7メートルという大型の封土墳。この一帯の古墳群の中で盗掘被害に遭っていない、数少ない事例だ。63号墳は、後世に築造された39号墳の盛り土に遮られ、難を逃れることができた。

 金銅冠は、一番下の部分に幅およそ3センチの円形台座があり、その上に3段の枝状の装飾が3本立っている形態のもの。台座の下には、勾玉(まがたま)や金の玉でできた金銅垂飾を垂らす。イ・ハンサン大田大学教授は「典型的な新羅様式の金銅冠」と語った。墓の主人公のものとみられる歯も6点確認された。ヤン・スクチャ国立伽耶文化財研究所学芸研究室長は「腰に大きな剣を帯びる代わりに小さな懐刀が2点出てきて、太環式耳飾が出てきた点などからみて、女性と推定される。身長は155センチ程度」と語った。

 殉葬の痕跡もあった。墓の主人公の足元部分に当たる地面をおよそ40センチ掘り下げた空間に、殉葬者2人が安置されたものとみられる。殉葬者のものと推定される歯の一部や足の骨の一部、金銅製細環1点、つぼ2点、鉄斧(てっぷ)2点などが出土した。

 研究所は「装身具は新羅系の遺物だが、墓の構造は典型的な伽耶様式」だとして「非火伽耶の支配勢力が新羅から受け取った威勢品を埋めたか、新羅スタイルを模倣して自ら作ったものでもあり得る」と説明した。

 だが学界からは「金銅冠など装身具を着装する方式が新羅の墓の様式と一致しているのは、昌寧一帯がこの時期、既にはっきりと新羅に編入されていたという証拠」という反論が出た。イ・ハンサン教授は「昌寧古墳群は学界で伽耶か新羅かを巡って論争が続いてきたが、今回の発掘で新羅だということがさらに確実になった」とし「墓の様式は最も保守的なものなので、新羅に編入された後もその地域固有の風習が残っていることもあり得る」と語った。研究所は来月5日に、動画サイト「ユーチューブ」の国立文化財研究所チャンネルを通して、発掘作業を録画した動画を公開する予定だ。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

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