15日に大田顕忠院へ埋葬された「6・25の英雄」故ペク・ソンヨプ予備役陸軍大将に関して、埋葬翌日に国家報勲処が、ホームページの情報欄に「親日反民族行為者」だという文言を明示したことが明らかになった。顕忠院の埋葬者情報は、名前さえ入力すれば誰でも検索できる。韓国政府が、ペク将軍は「親日派」だと公にレッテルを張ったのだ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、ついにペク将軍への弔問を行わなかった。6・25の戦友12万が眠るソウル顕忠院に葬るべきだという各界の要求も無視した。大田に埋葬してすぐ翌日、「親日派」だと墓に唾を吐き掛けたのだ。

 韓国の現政権は、自分たちが作った「親日派」を顕忠院から排除すべきだと主張してきた。最近は「破墓法」の発議も行った。報勲処は既に、顕忠院に埋葬された将官11人の情報欄に「親日派」のレッテルを張った。これを根拠に、実際に墓を掘り返そうとするだろう。

 ペク将軍は日帝強占領期に生まれ、20代前半の年齢で間島特設隊に配属されたというのが全てだ。ペク将軍が赴任した1943年には、満州に独立軍そのものが存在しなかったというのが定説だ。全てロシアや中国内陸に移動していたという研究が圧倒的に多い。ペク将軍が、いもしない独立軍とどうやって戦うというのか。ペク将軍も「中共・八路軍と戦い、独立軍は見たこともなかった」と言っている。この証言には耳を貸さず、「独立軍討伐」という汚名だけを着せようとしている。

 彼らがペク将軍を罵倒する真の理由は、ペク将軍が親日派だからではなく、6・25で共産軍を撃退したからだろう。現政権の光復会長は、ペク将軍が「韓国戦争を前後して数多くの民間人を虐殺した」と言った。それこそでたらめな嘘だ。関連記録は一つもない。「わが民族である北朝鮮に向けて銃を撃って勝った功績が認められるといって、顕忠院に葬るのか」というテレビ番組のMCの言葉が、ひょっとすると彼らの本心ということもあり得る。

 報勲処は昨年、6・25の英雄のポスターに韓国軍ではなく中共軍の姿を描いた。北朝鮮の木箱地雷挑発で両足を失った韓国軍将兵に対し、戦傷ではなく公傷の判定を下すということも行った。今年の6・25国軍ポスターを巡っては、ヒトラーのナチスの軍隊を連想させるヘルメットを描いていたが変更するという事件もあった。顕忠日の追悼式では哨戒艦「天安」爆沈事件や第2延坪海戦、延坪島砲撃挑発関連の遺族や生存者を出席者リストから除外し、後になって追加した。今度は、永眠した護国の英雄の後頭部をなぐるような真似まで行った。痛嘆すべきことだ。

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