ワシントンの政界を大きくひっくり返したジョン・ボルトン元ホワイトハウス国家安保補佐官の回顧録がソウルにも衝撃を与えている。2年前に華々しく始まったが、今はつい先日からストップ状態にある米朝非核化外交をめぐり、これまでうわさの次元にとどまっていた数々の疑惑が事実だった可能性が高まった。また同時に文在寅(ムン・ジェイン)政権に対する責任論も浮上するなど、影響が広がりつつあるようだ。

 最も注目を集めているのは、ボルトン氏が米朝非核化外交の全てのプロセスを「韓国の創造物」と表現した部分だ。「韓半島運転者・仲裁者論」を前面に掲げた文在寅政権が、史上初の米朝首脳会談実現に大きな役割を果たした点についてはボルトン氏も認めている。ただそれと同時に、そのような形で始まった非核化外交が昨年の「ハノイ・ノーディール」と「ストックホルム・ノーディール」を経て座礁した責任も、やはり文在寅政権にあるとしたのだ。

 ボルトン氏は、韓国が「創造」した米朝非核化外交を情熱的なスペインの踊り「ファンタンゴ」に当てつけ、「金正恩(キム・ジョンウン)やわれわれ(米国)に関する真摯な戦略よりも、韓国の統一アジェンダの方により多くの関連がある」と指摘した。文在寅政権が「米朝仲介外交」を駆使し、本質である非核化よりも南北関係改善への意欲が先走った点を指摘したのだ。

 専門家は、文在寅政権が仲介外交に乗り出した2018年3月の時点から、すでに同じような問題意識を共有してきた。その最大の問題は、北朝鮮への特使として金正恩・国務委員長に会って戻ってきた鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長が説明した「北朝鮮の非核化の意志」だった。当時、鄭室長は「北側は、軍事的な脅威が解消され、体制の安全が保障されるのであれば、核を保有する理由がないとの点を明確にした」「非核化は先代の遺訓であり、この遺訓に変化はない」とする金正恩氏の発言も紹介した。北朝鮮が核・ミサイル暴走を続け、際限なく繰り返してきた宣伝用のレトリックをそっくりそのまま「非核化の真正性」と解釈したのだ。鄭室長はこのような見方を持って米国を訪問し、トランプ大統領から米朝首脳会談の約束を取り付けた。

 かつて韓国外交部(省に相当)で韓半島平和交渉本部長を務めた金烘均(キム・ホンギュン)氏は19日「当時は史上最強の対北制裁レジーム(体制)が完成したまさにその時で、北朝鮮が「制裁(解除)か核兵器か」という二者択一の岐路に立つ状況だった」「金正恩氏の非核化への真正性に対する韓国政府の読み違いが、性急な米朝首脳会談へとつながった」と指摘した。

 青瓦台は第1次米朝首脳会談以降、非核化交渉が空回りすると、その折衷案として「早期収穫論」と「グッド・イナフ・ディール」を言い出し始めた。ある外交筋は「早期収穫といった言葉そのものは、通常の外交交渉でも使われる用語だ」としながらも「非核化外交に対する青瓦台の理解不足を示す端的な事例だった」と指摘した。グッド・イナフ・ディールは米朝のどちらからも共感が得られず、結局はハノイ・ノーディールと共に「死亡」した。

 米戦略国際問題研究所(CSIS)のスミ・テリー上級研究員はツイッターで「ボルトン回顧録」の内容を紹介し、「ボルトン氏は、文大統領が米朝双方に非現実的な期待を掛けていたことを批判した」と指摘した。米国はもちろん、北朝鮮も文在寅政権による「ずさんな仲介」に強い不満を持っているということだ。ハノイ・ノーディール後、北朝鮮が南北対話を完全に閉ざしたのは、このような分析の妥当性を裏付けている。北朝鮮が文大統領に対し「差し出がましい仲裁者のふりをするな」などと罵詈雑言を浴びせたのもその時からだ。北朝鮮が最近「見え透いた術数」といった侮辱的な表現を使って青瓦台からの特使派遣の提案を拒否したことも、やはり「南朝鮮にだまされた」という認識の延長線上にあるようだ。青瓦台は「回顧録がまだ正式に発行されていない状況で、メディアの報道だけで評価するのは適切ではない」とコメントした。

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