米国のジョージ・W・ブッシュ政権の司法長官だったアルバート・ゴンザレス氏は、連邦検事を大量に解任し、国家安全保障局の秘密盗聴を承認したとの理由で議会と対立していた。ゴンザレス氏が辞任せざるを得なかったのは、ほぼ全ての質問に「記憶にない」と答弁したからだ。ゴンザレス氏は2007年4月19日、議会に出席し、71回も「記憶にない」と答えた。当時、米国の各メディアは「本当に間違えたか、本当に愚か者のようだ。おそらくどちらも正しいだろう」と書いた。

 「記憶にない」という言葉は、何かの過ちを犯した人が「違う」や「知らない」では隠すことのできない証拠を前に、最後に逃げの言葉として使うケースが多い。チョ・グク前法相の妻のチョン・ギョンシム氏は、夫側のおいとやりとりしていた私募ファンド投資関連の携帯メールの内容が公開されると「記憶にない」という答弁を貫き通した。市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)の前理事長で国会議員となった尹美香(ユン・ミヒャン)氏は、2012年に旧日本軍慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんの比例代表出馬をやめさせた際の音声ファイルが公開されると「記憶にない」と述べた。しかし「記憶にない」と言っている人々は、自分にとって有利なことは非常にはっきりと覚えていたりするものだ。

 女性職員に対するセクハラの疑いが持たれている呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長が、令状実質審査で「記憶にはないが容疑は認める」などと話したという。4月7日にセクハラ行為をして、その直後に被害者が性暴力相談所に通報すると、(呉元市長は)「4月15日の総選挙後に辞任する」との文書を作成し公証まで受けた。4月23日に辞任した後は、警察の捜査を受けてきた。記憶にないはずがない。

 「記憶にはないが容疑は認める」というのは「そんなことをしたのかしていないのか分からないが、した」と言っているのと同じだ。このように矛盾した、かつ荒唐無稽な発言が出てくるのは、かなり計算されているからだという。容疑を認めてこそ、逮捕を免れるのに有利になる。しかし「記憶にない」と発言しておくことで、後の裁判で嫌疑内容について争うことができる。

 ほとんどあり得ないことだが、本当に思い出せない可能性もあるという。あまりにも衝撃的な事態に直面した人間が、頭の中からその記憶を消し去るケースもあるというわけだ。同じうそを数十回、数百回も繰り返した人間が、後にそれがうそなのかどうなのか、自分でも混乱してしまうのと同じだ。呉前市長は頭の中からその出来事を消してしまったのかもしれない。その呉前市長は辞任後、雲隠れしていたが、巨済島で取材陣に出くわすと「人違いです」と言った。「私は呉巨敦ではない」と考えているうちにそれが頭の中で固まってしまったのでなければ、うそをついたことになる。「セクハラは記憶にない」という発言もうそなのだろうと思う。

ハン・ヒョンウ論説委員

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