日本が、新天皇の即位する「令和」時代に合わせ、1万円札と5000円札、1000円札に印刷される人物をそろって変更すると決めた。財務省は9日、2024年から使用する新紙幣の改編案を発表した。紙幣の人物が変わるのは2004年以来20年ぶりだ。

 1万円札の人物は、明治時代の思想家・福沢諭吉から、「日本の資本主義の父」とたたえられる渋沢栄一に代わる。「日本近代化の師」と呼ばれる福沢は19世紀後半の明治維新当時、日本の改革と近代化を主張し、積極的に西洋文物を日本に紹介した。私立の名門、慶応義塾大学も設立した。こうした功績が認められ、1984年に1万円札に登場し、40年を経てこのほど退くことになった。5000円札には女性教育の先駆者・津田梅子、1000円札にはペスト菌を発見した医学者・北里柴三郎が確定した。

 日本が新たな紙幣の発行を発表した背景は、来月1日の新天皇即位に伴って雰囲気を一新しようとする政治的目的がある。麻生太郎副総理兼財務大臣は9日の記者会見で「新元号使用に伴う新しい紙幣の使用」に言及し「明治以降の文化人の中から選定するという、前2回の改札時の考え方を踏襲(して新しい人物を選んだ)」と表明した。今回の紙幣のデザイン改編を巡っては、安倍首相の明治時代に対する郷愁と経済復興に対する熱望が反映された、という評価もある。

 最大の関心を集めたのは渋沢栄一だ。1840年生まれの渋沢は、27歳のときに万国博覧会が開かれたパリを訪れ、大きな衝撃を受けた。産業革命と商工業の重要性を悟った渋沢は、大蔵省(現在の財務省)を辞した後、日本初の銀行となる第一銀行(現在のみずほ銀行)を設立した。租税・貨幣・会計制度の近代化を推進し、証券取引所を作った。

 紡績・鉄道・肥料・ホテルなどさまざまな分野で500を超える会社をつくり、日本経済の土台を築くことに寄与した。単に金を稼ぐことだけに目的を置いたわけではなく、論語に基盤を置いた健全な商業倫理を強調し、「経済報国」が広まるようにした。毎日新聞は9日、「(渋沢は)たくさんの業績がある人なので、今まで(紙幣の)肖像画に採用されなかったのが逆に不思議だった」という市民の言葉を伝えた。渋沢は、1902年に明治政府が第一銀行に対して朝鮮で使われる通貨(第一銀行券)の発行を許可した際、10円札・5円札・1円札のモデルとして登場した。第一銀行は、創業者の顔が入った通貨を朝鮮で流通させたのだ。また渋沢は、植民地時代には京城電気の社長としても活動した。

 新5000円札に登場する津田梅子は、1871年に明治政府が近代文物を学ぶため西欧に派遣した「岩倉使節団」の一員として歴史に記録されている。津田は日本初の女性海外留学生として米国に留学した後、1900年に「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を東京に設立した。津田は「女性も学ぶべき」と女子学生を督励した。

 日本の「近代医学の父」と呼ばれる北里柴三郎は、1000円札の新しい顔だ。1853年生まれの北里は、ドイツ留学中に破傷風菌の純粋培養に成功した。その後、毒素を体内に注入して抗体を作る血清療法を確立したと評価されている。1901年にはノーベル医学生理学賞の候補にも挙げられた。

 安倍内閣は2004年の改札時のように、近代日本をつくる過程で尊敬されている人物を選んだ。日本政府は当時、1984年から1万円札に登場している福沢諭吉はそのまま使いつつ、5000円札には明治時代の女流小説家・樋口一葉、1000円札には伝染病を研究した医学者・野口英世を選んだ。今回も、「近代化の偉人、女性の先駆者、科学者」という3セット公式がそのまま適用された。紙幣の裏面も完全に変わる。1万円札の裏には東京駅丸の内駅舎、5000円札の裏には藤、1000円札には葛飾北斎『富嶽(ふがく)三十六景』の一つ「神奈川沖浪裏(なみうら)」が載る。

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