社会総合
「お前らの父親」孫恵園議員発言で盛り上がる「#私の父は」
孫恵園議員の「お前らの父親は何をしていたんだっけ?」発言に反発
「命駆けで国守った」「家族のために献身」返信300件
4日以降、ソーシャル・メディア上に「#私の父は」という投稿が増えている。自分の父親や祖父がどんな人だったのか明かすものだ。8日までで300件以上が投稿されている。
事の発端は与党・共に民主党を離党して無所属になった孫恵園(ソン・ヘウォン)議員=ソウル・麻浦乙選挙区=のフェイスブックの書き込みだった。父親の孫竜祐(ソン・ヨンウ)氏=故人=が独立有功者に選定される際、国家報勲処(省庁の1つ)から特別待遇を受けたとの疑惑を野党が取り上げると、孫恵園議員は4日、フェイスブックに「お前らの父親は当時、何をしていたんだっけ?」「国のために命を懸けた私の父にかみつく人間は特に許せない」と書き込んだのだ。
すると、フェイスブックなどのソーシャル・メディアに孫恵園議員の問いかけへの返信が投稿され始めた。性暴力被害を告白する「#MeToo(ミートゥー)運動」のように、投稿文にハッシュタグ(#・特定の単語での検索を容易にする記号)を付けた人も多かった。
オ・ソンムンさんは5日、自身のフェイスブックに「私の父は60年以上、日記と家計簿をつけて、体一つで生涯耐え抜いた」と書き込んだ。この投稿によると、オ・ソンムンさんの父親が慶尚北道聞慶市にいた11歳の時に6・25戦争(朝鮮戦争)が発生したという。「『朝鮮人民軍が井戸に毒を入れている』といううわさが飛び交うと、父は少年団に加入した。そして、友達3人と組んで村の井戸を守った」とのことだ。戦争が終わると、父親は公務員になり、オ・ソンムンさんら子ども3人を育てて孤児になったおいと妻の弟や妹を養った。
イ・サンウォンさんも5日、フェイスブックに父親のことを書き込んだ。イ・サンウォンさんの父親は江原旌善郡で生まれ、21歳の時に寧越郡の磨磋鉱業所で鉱山労働者になった。それから31年間にわたり石炭を掘り続け、6人兄弟を育てた。イ・サンウォンさんは「地下数千メートルの坑の中で命懸けで石炭を掘った産業戦士だ。晩年にはじん肺に8年間さいなまれ、苦労して亡くなった貧しい私の父」と書いた。
動画共有サイトのユーチューブに動画を投稿した人もいる。イ・ジェホンさんは5日、ユーチューブに父方の祖父と母方の祖父のことを掲載した。イ・ジェホンさんの父方の祖父は韓国軍の軍人で6・25戦争時に負傷し国家有功者となった。母方の祖父は平壌で生まれて機関士として働き、南にやってきた。戦争の時、機関士として連合軍の軍需物資を輸送した。北に置いてきた家族には再会できなかった。イ・ジェホンさんは「2人とも韓国のために戦った。他人に迷惑をかけたり、歴史に対する罪を犯したりしなかった」と語った。この動画は2日間で4万人が見た。「孫恵園議員にも父親がどのように国のために命を懸けたのか説明してほしい」というコメントが付けられている。