いわゆる朴槿恵(パク・クネ)政権の国政介入事件に関与して拘置所生活を送り、後に釈放された人物数人に先日会った。拘置所から出てきたばかりの人に会うとたいてい、拘置所内の日課に関した話題から話が始まる。独房にいた国政介入事件関与者たちの日課は単純で大体似ていた。運動と面会2時間を除き、一日中2坪余りの独房に閉じ込められていたそうだ。

 22時間もの間、ベッドの大きさほどの空間に一人で閉じ込められていると、食べて寝る以外にできることと言えば新聞や本を読むことと考えることくらいだ。3部まで購読できる新聞を数時間にわたり何度も読むと、記事を書いている記者でもなかなか見つけられない誤字を見つけ、おりの外の人々も知らないような外界の人々の動静を知る境地に達するそうだ。新聞を通じて検察の捜査の方向性を見極めるという知恵も付く。記者が会ったA氏は「新聞に既に出ている事案について取り調べるということで検察に呼ばれた場合は私は参考人だったが、新聞に出ていない事案で呼ばれた場合は私は中心的な容疑者だった」と語った。

 一般の刑事事件の容疑者とは違い、国政介入に関与した容疑者は比較的遠い過去の自分の行動を振り返って再構成しなければならない。検事は、記憶をよみがえらせることを執拗(しつよう)に求めたという。B氏は、共に政権に携わった人々が同じ事件について異なる記憶を語ったのが苦痛だったと言った。検事が聞かせてくれる他の人々の異なる供述を聞き、あきれたことも少なくなかったという。そういう日は一日中独房の中で座って、過去のある一日を振り返り、バラバラになったパズルを合わせなければならず、決まって襲われる悔恨の念に眠れなかったとのことだ。C氏は家族や同僚たちに貼られた「積弊」(過去の政権による長年の弊害)というレッテルのせいで眠れない夜が多かったそうで、「大統領府の後輩たちが仕事を見つけることもできずに無職のままだというニュースに胸が痛んだ」と語った。拘置所から釈放されたC氏は今、自身に貼られたレッテルを切に実感している。

 こうしたことが当てはまるのは朴槿恵政権の人々ばかりではないだろう。素晴らしい経歴、あるいはマイナスイメージにもなり得る「○○○政権出身」というレッテルを貼られた過去を抱えて生きるのは、政権に携わった人々の宿命とも言える。それは拘置所にいても、そうでなくても変わりはなく、どの政権でも例外はあり得ない。現政権の人々も「文在寅(ムン・ジェイン)政権出身」というレッテルを貼られて過去を振り返る時が来ることだろう。果たして「私は文在寅政権に携わっていた」と堂々と語り、大手を振って歩くことができるだろうか。

 現政権は1年4カ月間にわたり、前政権やその前の政権の肉をえぐり深層を探ることにおいて優れた能力を発揮してきた。しかし、その他の分野ではそうではなかった。荒唐無稽(むけい)な左派的な理想が現実の壁にぶつかるたび、「絶対に乗り越えてやる」と意固地になる姿を見せてきた。国政運営では「見かけ倒し」臭(しゅう)をぷんぷんさせるが、身内や味方はしっかりと擁護し、よくしてやる。あちこちに天下りさせ、統計結果が気に入らないからと言って統計庁長を更迭するというやり方を目の当たりにすると、「破廉恥」という言葉しか思い浮かばない。成果を収めたと見られていた南北関係すら、中身のない「過剰包装」のうそ偽りだったとの思いが頭をもたげる。

 これまでで最も過酷な夏を過ごした過去の政権の人々は、まもなく独房で厳しい冬を迎える。冬の拘置所生活の経験があるB氏は「暖房はあるというが、冬の独房で横になっていると、背骨を走るゾッとするような寒気に驚く時がある」といった。そんな思いをすべき人物は独房に閉じ込められている過去の政権の人々だけだろうか。現政権の人々もそうしたゾッとするような寒気の中で一日を過ごせばいいと思う。約3年後、自分が貼られるレッテルの恐怖を抱えて残った任期を過ごしてほしい。過去の政権の人々が拘置所内で苦い過去を振り返る姿をもう見たくはないから。

イ・ドンフン・デジタル編集局政治部長

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