国際総合
夏の甲子園100年、冷めない熱気に見る「日本社会の縮図」
5日、兵庫県西宮市内の阪神甲子園球場。観客席4万8000席は1つ残らず埋まっていた。最初の試合開始前にはヘリコプターが球場上空に現れ、ボールを落とした。そのボールを受け取った元米大リーガーのホームラン打者・松井秀喜さんが始球式をした。松井さんの母校・星稜高校(石川県)対藤蔭高校(大分県)の試合を皮切りに「夏の甲子園」「夏の高校野球」と呼ばれる全国高等学校野球選手権大会が開幕した。
今年で100回目を迎えた夏の高校野球に日本全体が注目している。開会式には来春天皇に即位する皇太子も出席した。今大会には全56チームが出場している。NHKの番組はニュースの時間も移動させ、全試合を生中継する。毎日新聞や朝日新聞などの大手日刊紙は毎日紙面を3-4面割いてこの大会を報道する。
韓国ではプロ野球に押されて高校野球の人気が下火になっているが、日本では「高校野球シーズン」になると今も全国各地で熱い応援が繰り広げられる。高校野球開催期間中は全国各地から100万人以上が西宮市内に集まってくる。今年は日中の気温が35度前後に達するほどひどい暑さだが、甲子園球場の4万8000席は連日満員だ。同球場を本拠地とする日本のプロ野球チーム・阪神タイガースもこの時期になると、アウエーの試合ばかりになる。
高校野球が日本社会で人気を集めているのは、日本に長年続く「地方を重視する伝統」と関係がある。日本は1868年の明治維新までは藩と呼ばれる地方の伝統が強かった。藩主が一定の権限を持って幕府と協力・緊張関係を保ってきた。現在の47都道府県に行政区域が再編された後も、このような地方中心の文化が維持されている。都道府県別の地方予選を経て1-2チームだけが本選に出場できる夏の高校野球は、基本的に地域対抗戦の性格を持っている。静岡県出身の木宮正史東京大学教授は「高校野球は愛郷心を育て、結束させる役割をしている」と語った。
夏の高校野球が100年以上にわたり紆余(うよ)曲折の多い現代という時代を通して日本人と喜怒哀楽を共にしてきたのも愛着を抱かせる要素だ。夏の高校野球は日本の帝国主義時代の1915年に初めて開催され、24年には今の甲子園球場が建てられた。太平洋戦争のため42年から4年間中断されたのを除き、46年以降は1年も欠かさずに行われている。復活した高校野球はさまざまな伝説を生み、経済復興に余念がなかった日本人たちを癒やし、励ました。
夏の高校野球の観客は2009年から昨年までの9年間、毎年80万人以上を記録している。1990年には92万9000人が観戦した。これによる経済効果も侮れない。関西大学の宮本勝浩名誉教授は昨年の夏の高校野球の経済効果を年間351億円と推定している。
高校野球が人気があるのは、毎年新たな伝説と記録が生まれているからだ。つまり、高校生たちの成長ドラマでもあると言える。強打者だった松井秀喜さんは1992年の決勝戦で5打席連続敬遠され話題になった。現在、日本のプロ野球で最も人気のある選手の1人、松坂大輔投手=中日ドラゴンズ=は1998年の夏の高校野球決勝でノーヒットノーランを達成した。2004年の駒澤大学附属苫小牧高校は北海道代表として初めて優勝し、日本全国を驚かせた。同校は日本でも最も北の地方にあるという不利な点を乗り越え翌年も優勝し、過去6校目の2連覇を成し遂げた。
成人チームの野球とは違い、高校野球が純粋さや闘志で伝説を作ってきたのも甲子園人気に貢献している。『高校野球の経済学』を著した慶応大学の中島隆信教授は「夏の高校野球は最後まで勝負をあきらめないはつらつとしたプレーで観客を熱狂させる」「プロ野球選手ほどの技術はないが、(高校野球には)『高校生らしさ』というものがある」と分析した。このため、高校野球は「日本社会の縮図」という声もある。愛郷心・成長ストーリー・伝説など日本人が好きな要素がすべて含まれているということだ。