社説
【コラム】中国の液晶パネルはどうやって韓国を超えたのか
昨年、サムスンとLGディスプレーを抜き、液晶パネル業界の世界首位に立った中国の京東方科技集団(BOEテクノロジーグループ)は、中国政府系の軍需企業だった。1950年代から「774工場」とうコード名で真空管などを生産し、中国軍に納入していた。1985年に北京市所属の国有企業として再編され、日本と合弁でブラウン管部品などを生産した。
BOEは韓国企業買収を契機として、液晶パネル事業に参入した。2003年にキャッシュフローが危機を直面したハイニックス半導体が液晶パネル部門のハイディスの売却を目指した際、王東升会長が中国政府を説得し、3億8000万ドル(約424億円)で買収した。05年には北京に第5世代の液晶パネル生産ラインを完成させた。合弁で徐々に技術を学ぶより、むしろ重要技術を丸ごと確保する戦略だ。
BOEの液晶パネル事業への挑戦は無謀な面が少なくなかった。ハイディスの韓国人技術者1人にBOEの従業員15人を付け、液晶ディスプレーの基本から教えるほど、技術人材は絶対的に不足していた。生産がうまくいくはずはなかった。このため、歩留まりは60%程度にすぎなかった。歩留まりが90%以上にならないと収益が生まれないのだが、それにはるかに満たなかった。生産ラインが放置され、年間数千億ウォン(数百億円)の赤字が積み上がり、政府の支援で持ちこたえた。中国メディアから「カネを焼いて動く機械」と皮肉られた。
BOEはこうした状況でも地方を中心に生産ラインの拡張を続けた。先端産業の誘致を目指す地方政府を取り込んだのだ。08年から13年までに21兆ウォンを超える資金を借り入れ、四川省成都市、安徽省合肥市などに生産ライン6本を建設した。
BOEが量産に成功したのは10年後半だった。ハイディスを買収してから7年、最初の生産ラインを設けてから5年目のことだ。しかし、量産が始まると規模の力が働き始めた。サムスン、LGディスプレーをはるかに下回る単価で中国の内需市場を掌握した。12年には黒字転換し、14年には世界5位の液晶パネルメーカーに浮上した。
液晶パネルは技術よりも資金確保が難しい業種だ。生産ラインへの投資と技術確保に巨額を投じる必要があるのに対し、投資回収には10年近い長い歳月を要するからだ。
BOEが韓国を追い越した最大の原動力は、中国政府による資金支援だった。BOEは11本の生産ラインを保有するが、そこに投じられた資金は3000億元(約4兆9000億円)に達する。韓国が日本の液晶パネル産業を追い越した際に使った不況期の投資戦略もそのまま生かした。08年の世界的な金融危機などでサムスン、LGディスプレーが投資をためらう間、果敢に次世代の生産ラインに投資を行い、両社を追い越すことに成功した。
ほかにも根本的な要因がある。韓国の液晶パネルメーカー幹部に韓国が中国を再びリードすることはあり得るのか尋ねると、「不可能だ」との答えが返ってきた。潤沢な政府支援、資金力、巨大な内需市場なども大きな壁だが、人材確保面で中国にはかなわないとの指摘だ。
BOEは年間6000-7000人を新規採用するが、うち60%が修士以上だ。北京大、清華大など名門出身も数多い。中国が年間で輩出する理系の修士、博士は約30万人で、昨年の韓国(3万7700人)の8倍に達する。液晶パネルで始まった韓中の産業逆転減少が半導体など他の業種にも拡大すると懸念されるのはまさにそのためだ。