韓国軍
韓国軍情報部隊の「戒厳文書」は実行計画だったのか
機務司令部(韓国軍の情報部隊。機務司)の「衛戍(えいじゅ)令・戒厳文書」を巡る捜査の焦点は、誰の指示で作成され、どのラインまで報告があり、実行まで検討したのかどうかだ。韓国国防部(省に相当)の宋永武(ソン・ヨンム)長官が今年3月の時点で機務司令官から当該文書の報告を受けたのに、すぐに公開しなかった点も疑問だ。
■誰の指示で、なぜ作成したのか
「機務司文書」を入手して今月5日に公開した与党「共に民主党」の李哲熙(イ・チョルヒ)議員は、メディアのインタビューで「ろうそく集会のとき、韓国軍が衛戍令・戒厳令を準備していたという疑惑は事実だと明らかになった」「文書は当時、国防長官に報告された。(衛戍令・戒厳は)国防長官のラインで決定できる事案ではない。上のラインに報告したと思う」と語った。当時の韓民求(ハン・ミング)長官が韓国大統領府(青瓦台)や首相室に文書を報告し、実行の検討まで行った、というのだ。
しかし、韓・元長官は「『機務司文書』の出発点は、李哲熙議員が衛戍令について質問したこと」と説明したといわれている。「今回の文書は(質問に伴って)単に衛戍令または戒厳の法的要件と手続きを調べた内部検討資料」だという。
李議員は2016年11月23日と17年2月14日および23日の計3回にわたり、「衛戍令の破棄」に関連して国防部に質疑を行い、資料を要求した。この件で韓・元長官は当時、合同参謀本部と国防部法務管理官室に衛戍令について法理の検討をさせた。このとき、当時の趙顕千(チョ・ヒョンチョン)機務司令官が長官に「われわれも衛戍令について検討してみたい」と提案したことを受け、長官が指示を出したといわれている。しかし李議員は「衛戍令の廃止について国防部の立場を尋ねてはみたが、戒厳や兵力出動の問題まで具体的に検討する理由はない」と語った。
■戒厳計画、上部に報告したのか
韓・元長官は、機務司などが作成した戒厳計画について「大統領府や首相室から文書作成の指示を受けたこともなく、報告もしなかった思う」と語ったといわれている。上部への報告も実行もなかったというのだ。
さらに韓・元長官は「合同参謀本部と法務管理官室の説明は概論的で不足していた、国防長官として、兵力出動と関連する衛戍令と戒厳についてもっと具体的に把握する必要があり、(機務司にも)指示した」と語ったといわれている。
与党側では「機務司が衛戍令や戒厳まで検討するのは越権、かつ権限の乱用」と主張している。当時の朴槿恵(パク・クンへ)政権の大統領府や黄教安(ファン・ギョアン)首相の首相室から、こうした検討の指示を下したのではないか、というのだ。だが韓国軍からは「機務司は戒厳宣布時に戒厳司令官を補佐する『合同捜査本部長』なので、法理の検討はできる」という声も上がっている。
■宋永武長官はなぜ4カ月も黙っていたのか
宋永武長官は今年3月中旬にイ・ソック機務司令官から「機務司文書」の報告を受けたが、4カ月間、特に措置を取らなかった。当時国防部は、独自に法理の検討を進めたが、捜査対象にはならないと判断したといわれている。国防部関係者は「機務司の越権と考える余地はあったが、実行計画ではないと判断した」と釈明した。
そんな国防部が、今月5日に李哲熙議員が機務司文書を公開した直後、「文書の作成経緯、時期、適切であったかどうか、関連の法理などについて確認および検討を行った後、捜査に転換するかどうかを判断したい」とコメントした。これは、国防部の当初の判断とは一致しない。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の「独立捜査団を立ち上げて迅速、公正に捜査せよ」という指示には、国防部に対する叱責(しっせき)の意味もあるといわれている。
大統領府関係者は10日、文大統領が外遊先のインドから特別指示を下したことについて「帰国後に指示をするのではあまりに遅いと判断したようだ」と語った。一方、野党側は「安全保障・経済の状況が気に入らない様相になるや、民主党が疑惑を提起し、青瓦台がこれを受けて積弊(積み重なった弊害)へと拡大・増幅している面がある。かなり政治的意図が垣間見える」と指摘した。