▲キム・グァンイル論説委員

 24年前の夏のことだ。その年のヨーロッパの空気は重苦しかった。名称もない、ただの米朝会談がスイスのジュネーブで退屈そうに行われた。米国代表はロバート・ガルーチ国務次官補、北朝鮮代表は姜錫柱(カン・ソクチュ)外務次官だった。当時の駐フランス特派員がジュネーブ取材をカバーした。私たちはモーベンピック・ホテルに泊まった。会談は米朝代表部の建物で交互に行われた。両国代表団は昼食を共にしたり、カクテル・レセプションを開いたりした。記者たちは代表部の外の道をうろうろしていた。

 北朝鮮は国際原子力機関(IAEA)の査察には原則がないと粘った。米国は北朝鮮が4カ月前に脱退宣言した核拡散防止条約(NPT)に復帰することを望んだ。記事は書いたが、あいまいだった。韓国人記者には直接の取材源がなかった。ガルーチ氏は口を閉ざした。「韓国代表部に聞け」ということだ。姜錫柱氏は「朝鮮半島の核問題全般について話し合った」としか言わなかった。

 その日の晩、米国が韓国を別個に呼んで背景を説明した。そして、米国代表部から帰ってきた韓国の官僚が初めて記者に説明した。我々はフィルターを2回通された情報を耳で覚えた。論理的なつながりがない、断片的な情報が横行した。韓国は韓半島(朝鮮半島)安保の「直接の当事者」でありながら、「第三者」でもあるという二重構造に陥っていた。北朝鮮公館の会談会場を離れる時、ヨーロッパの記者たちは「どうなったんだ?」と韓国人記者の袖を引っ張った。とても「我々も第三者なんだ」とは言えなかった。

 米国は1960年代、ヨーロッパ諸国に核を配備した。そして、弾道ミサイル発射の特殊な鍵とパスワードを共有した。それでもフランスは1960年にサハラ砂漠で核実験を強行した。数年後、フランスは北大西洋条約機構(NATO)統合司令部を脱退した。米国の核の傘の下にいた周辺国は、フランスに「なぜ独自の核抑止力が必要なのか」と尋ねた。すると、当時のドゴール仏大統領は「そうしなければ、我々は軍縮会談に招待されないじゃないか」と言い放った。

 今後の韓半島の核問題も同様の本質を抱えている。金正恩委員長が核を絶対に放棄するはずがないため、北東アジアの核軍備競争も避けられないだろう。それが大きな流れだ。国連安保理は決議案・議長声明・言論声明という3つのうちどれを選ぶかで「魂のない」押し問答を繰り返すだろう。中国・ロシアは致命的な対北朝鮮制裁がない場合だけ国際協調に参加すると思われる。トランプ米大統領が金正恩委員長に対して「尊敬する」と「激怒している」の間を行ったり来たりしているうちに、ロシア介入疑惑やオバマケア代替案撤回のような国内問題に足を引っ張られる危険性が高い。

 極東軍備競争のクライマックスは、日本の核武装の可能性に至る。北朝鮮が小型核弾頭とICBMを完成させて弾頭保有量を増やせば、在韓米軍は戦術核を持ち込み、日本の核も議論のテーブルに載せられるかもしれない。中国が神経質になるだろうが、北朝鮮の核を引き止められなかった責任に縛られるだろう。米国も中国も平壌斬首作戦を実行に移す可能性は低い。中国は今年3月、米海軍特殊部隊「ネイビーシールズ」のウサマ・ビン・ラディン暗殺作戦をそのまま再現した特殊部隊訓練を公開したが、平壌を念頭に置いたものではない。

 米国も韓国も金正恩委員長に「拒否できない提案」を出すのに失敗した時、本当のシナリオが始まる。拒否できない提案とは、北朝鮮がミサイルをもう1回発射したら韓国が核戦略司令部創設のための立法発議に入り、北朝鮮が「核凍結-廃棄」の手順を約束すれば毎年10億ドル(約1100億円)を供与するという程度の最後通告だ。可能性はゼロに近い。

 片足を断崖絶壁の向こう側に突き出すくらいの状況になった時、米朝は電撃的にニューヨークで交渉を開始するかもしれない。北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)外務省米州局長と米国務省のジョセフ・ユン北朝鮮担当特別代表という局長級接触があった後、高官級の接触に移っていくだろう。北朝鮮が強者側に立った「ビッグ・ディール」だ。あの思い出したくもない、24年前のジュネーブの光景が脳裏をよぎる。韓国はまた背景説明を聞く側の国になるだろう。トランプ大統領と金正恩委員長は文在寅(ムン・ジェイン)政権を「わざと」無視するはずだ。ビッグ・ディールが「人質交渉」のように行われる時、交渉テーブルの見物もできない韓国政府は身銭を切るかもしれない。 20年前の咸鏡道軽水炉建設と韓半島エネルギー開発機構(KEDO)支援の時もそうだった。

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