両翼で飛ぶと右からも左から石をぶつけられる、いびつな時代

 犯罪学者の呉允盛(オ・ユンソン)教授が、新著『犯罪はあなたを避けていかない』を出版した。実際にあった事件を例に挙げ、被害者にならないノウハウを提示した。「夜遅くに、人けのない場所を一人で歩かない」「もし夜遅くにタクシーに乗るとしたら、家族に必ず車のナンバーを知らせておく」「露出の多い服装をしない」などなど。同書を読んで、少し心配になった。このような指摘には、いつも「なぜ被害者側の女性に責任を負わせるのか」「女性嫌悪だ」といった反応が出るからだ。呉教授自身も「実際、それが一番心配だった」と語った。

 「自動車に安全に乗りたければ、エンジンオイルを確かめて、タイヤも整備しないといけない。面倒なことだ。むしろ『全部自動車会社の責任』というように言う方がどれほど楽か。だが、放置して事故が起きたら、死ぬのは個人。死んでしまってから処罰を強化して、何の役に立つのか」。呉教授は、犯罪学の中でも「被害者学」で博士号を取った。当然「被害者にならないこと」が呉教授の専攻だが、一部の人々は、呉教授が「フェミニスト」ではないとにらんでいる。

 男性も、呉教授の主張に怒った。「凶悪犯罪の被害者の88.9%は女性」という記述を取り上げて「確認されてもいない統計を持ち出して、男性を『犯罪者』集団とののしっている」と非難した。この数値は、統計庁の公式資料のものだ。2015年の殺人・放火・性暴行など凶悪犯罪の被害者3万1431人のうち、88.9%に当たる2万7940人が女性だった。被害者10人のうち9人が女性という自明の事実を挙げることすら、気に障るといって認めないのだ。

 専門家の話を都合よく取捨選択して非難する姿勢は、常に存在した。かつては「布団の中でぶつぶつ愚痴る」程度で済んでいたが、刺激的な主張が「ネット世論」になるのは、今や時間の問題。研究者が「一方の陣営」の側に立つ場合、むしろその方が気楽で、より安全で、呼んでもらえる場所も多くなる。

 女性が被害者になる犯罪をめぐって慎重な立場を取る犯罪学者は、「女性嫌悪」と断定することをためらう。「もともと凶悪犯罪は弱い存在を選ぶようになっており、だから女性や障害者、高齢弱者がターゲットになる」という。弱者を選ぶから女性、というわけだ。結果は同じだが「原因」が違うので、処方も違うはずだという指摘だ。しかし、昨年起きた江南駅女性殺害事件の後、社会学者・女性学者を中心として「女性に対するヘイトクライム」「女性嫌悪社会」と断定する現象が見られるようになった。「女性嫌悪だ」「そうじゃない」とネット上で争いが繰り広げられているにもかかわらず、女性学・犯罪学・社会学・法学の専門家が集まって討論したという話は特に聞いたことがない。ただ断定し、追及するだけだ。

 『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)教授は今年1月、元慰安婦に対する名誉毀損(きそん)の刑事裁判の一審で無罪となった。裁判所の判決文にはこうある。「表現の自由と価値判断の問題で、市民や専門家が相互検証し反論すべき事案だが、裁判所が刑事処罰すべき事案ではない」

 朴教授の著書が問題になったとき、知識人クラスの有名人が「その女は狂ったXX」と言った。「どの部分がそうなのか」と尋ねると「本は読んでいないが、ネットで見たから」と答えた。本を読んだという人は、記者数人を除いて周囲にほとんど見掛けないが、みんなそろって「朴裕河問題の専門家」としての判断は済んでいた。『帝国の慰安婦』には、見るに耐えない扇情的な表現があるが、植民地時代の動員体制に奉仕した朝鮮人などをさまざまな視点で取り上げている。見直すべき部分も、反論すべき部分も多い。朴教授を声高に非難する人は力に満ちあふれているが、朴教授を擁護する学者は「ネットが怖い」と逃げていった。検察が朴教授を起訴すると、190人の学者が起訴反対の署名を行ったが、その論旨は「学問の自由」を侵害するという、当たり障りのないものだった。

 無知では無知を悟れない。「知性」が団結し、勇気を出さなければならない。両翼で飛ぶと右からも左から石をぶつけられる、いびつな時代を正したければなおさらだ。

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