コラム
【寄稿】「失われた20年」を耐え抜いた日本企業に学べ
1990年代から始まった日本の長期不況はしばしば「失われた20年」と呼ばれる。しかし、暗い景気低迷の中でも経済を率いてきた世界的な企業が日本には健在だ。未来への期待を捨てずに研究開発を続けてきた主人公たちだ。 筆者は最近、東大の招きで日本の超一流企業を視察する機会を得た。これら企業は長期的な低成長、マイナス成長期にも増収増益を達成してきたところが多い。こうした企業は低成長下でも研究開発を怠らなかった。特徴は多額の研究開発費を投じるのではなく、顧客やサプライヤー、ライバル企業とも協業を進めた点にある。 アメーバ経営で知られる稲盛和夫氏が創業した京セラは、独自の方法で開発したファインセラミックスを土台に太陽電池を主力事業として育て上げている。技術者出身の稲盛氏は技術と創意性の融合に向けたR&D(研究開発)リーダーの役割を強調し続けた。その伝統こそトムソン・ロイターが2014年、京セラを知的財産権の世界的リーダーに選んだ理由と言えそうだ。京都に本社を置くオムロンは、ライバル関係にある京セラとも協業した。異なる企業がコスト削減のために研究開発で協力をすることには驚かされた。滋賀県にあるダイキン工業は、エアコン業界のライバルである中国エアコン大手の格力電器と重要部品を共同開発した。ダイキンは低価格のインバータールームエアコンで中国市場の拡大を狙った格好だ。両社は世界市場に普及可能なインバーターエアコンの共同開発、原材料・部品の共同調達などを達成した。 140年の伝統を持ち、失敗を容認する島津製作所の研究開発方針は、平社員である田中耕一研究員がノーベル化学賞を受賞したことで輝きを増した。中小企業であっても継続的な研究開発が重要なことを改めて知らしめた。 低成長のトンネルに入った韓国にとって、日本企業の骨身を削る努力例は立派な指針になると考える。韓国企業はもはや追従者に甘んじることはできないため、研究開発をないがしろにはできない。研究開発費を増やし続けることが不可能な状況で、賢く費用を削減した日本企業の事例は手本と言える。最低限の投資で企業が傑出した研究開発成果を上げることを低成長時代の今、期待したい。