70年前のきょう、東条英機下元首相を含むA級戦犯28人が日本の旧陸軍省講堂に着席した。中日戦争と太平洋戦争を起こした罪を審判する「東京裁判」の初日だった。

 2日付朝日新聞は、世代前に行われた東京裁判をめぐり、日本社会に歴史観のダブルスタンダードが広がっていると伝えた。日本は国際社会ではある程度反省の態度を見せているが、国内では右翼を中心に「東京裁判は勝者による報復だった」「日本の罪は戦争に負けたことだけだ」という声が高まっている。

 産経新聞は4月30日、英国人記者ヘンリー・スコット・ストークス氏(78)の本「戦争犯罪国はアメリカだった!」を読者に推薦した。ストークス氏は「戦犯処刑こそ米国が犯した戦争犯罪だ」と主張した人物だ。

 敗戦翌年に開かれた東京裁判は公判初日から騒々しかった。戦犯の1人、極右思想家の大川周明は各国記者数百人が見守る中、精神に異常を来した。大川は東条の頭を背後からたたいたかと思えば、ドイツ語や英語で不規則発言を繰り返した。大川にたたかれた東条は、米軍に逮捕される直前に拳銃自殺を図ろうとしたが失敗し、米軍病院で治療を受け、法廷に立っていた。

 日本社会はそうした場面を暴動も騒乱もなく、静かに見守った。内心はどうだっただろうか。米国の歴史学者、ジョン・ダワーは「国民全体が絶望で呆然とした虚脱状態だった」と書いた。

 ところが今は違う。最も顕著な変化は「日本が間違っていた」という認識がみるみる薄くなっている点だ。朝日新聞が2006年、日本人3000人を面接調査した結果、回答者の36%が「日本は十分に謝罪してきた」と答えた。一方、昨年4月の調査では「十分に謝罪した」との回答が過半数の57%に達した。

 村山富市首相は20年前の談話で、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と述べた。誰が過ちを犯したのか、なぜ謝罪するのかが明確な文章だ。一方、安倍晋三首相は昨年8月、終戦70年談話で「先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」とした上で、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と指摘した。日本国民はそれに拍手喝采した。安倍談話の発表直後に行われた読売新聞の世論調査で、「これからも日本も謝罪を続けるべきか」との質問に回答者の63%が「そうは思わない」と答えた。

 安倍首相は第1次政権当時の2006年、「A級戦犯は日本の法律上は戦犯ではない」と主張した。第2次政権1年目の13年にも「連合国側が勝者の判断によって断罪した」と発言した。発言が問題視されると、「日本は(東京裁判の)判決を受け入れ、異議を申し立てるものではない」と発言を後退させた。他の右翼政治家も似たような行動パターンを見せた。

 問題は一般人も徐々にそうした態度が危険だとは思わなくなったことだ。朝日新聞は、日本社会で東京裁判について、受け入れと反発が共存する状況が広がっていると分析した。「東京裁判を覆そうというわけではないが、不満はある」「いくら日本が過ちを犯したとしても、数十年も謝罪すべきことなのか。原爆はあまりに残酷だった」といった二重思考が大衆の間に浸透しつつある。

 1955年の日本政府の調査では、日本国民の19%が「(戦犯処罰は)当然だ」と答えたが、昨年4月の朝日新聞の調査で「東京裁判は戦争責任者を裁いた正当な裁判だった」との回答は5%にとどまった。また、「太平洋戦争は侵略戦争だった」との回答(30%)よりも「侵略戦争と自衛戦争という両面がある」との回答(46%)がはるかに多かった。

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