国際総合
全盛期の53万人から今や8万人に、弱体化する朝鮮総連
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は1955年に結成され、一時は53万人が加入している、または影響下にあった強力な組織だったが、今では活動人数が8万人(日本政府推計)まで減少した。北朝鮮による今年1-2月の4回目核実験と事実上の長距離弾道ミサイル発射を受け、日本政府がかつてないほど厳しい北朝鮮制裁を発動したため、今後は組織の弱体化がさらに急速に進む見通しだ。
日本政府は、2006年の北朝鮮による初の核実験を受け、朝鮮総連を介して日本から北朝鮮に向かうヒト、モノ、カネの流れを規制する一連の制裁措置を取ったが、14年5月に北朝鮮が日本人拉致問題の再調査に合意すると、制裁を一部解除した。しかし、北朝鮮が再び核実験などを行ったことから、今年2月、解除した制裁を復活させるとともに新たな規制を追加した。総連幹部らの訪朝後の再入国原則禁止などを復活させ、北朝鮮への送金は10万円以下の人道目的を除いて原則禁止した。
こうした中、日本の法務省は11日、日本で暮らしている在日韓国・朝鮮人のうち「朝鮮籍」を持つ人の数が昨年末の時点で約3万4000人だったと発表した。「朝鮮籍」とは、1945年の敗戦直後、まだ大韓民国が存在していない時期に、韓半島(朝鮮半島)に戻らず日本に残った朝鮮人に対して日本政府が付与した国籍だ。大韓民国建国後も韓国籍を取らず、また日本国籍も取得せず、当時の国籍をそのまま持ち続けている人が現在の朝鮮籍保持者だ。その人数が3万4000人ということは、朝鮮総連で活動する8万人のうち半分以上が韓国籍または日本国籍を持っていることになる。
かつて朝鮮総連で宣伝部長も務めた元活動家、高忠義(コ・チュンウィ)氏(71)は昨年10月、東京で開かれた総連傘下の商工会の70周年式典で、総連に5つの変化を求める「提言書」を配布した。▲故・金日成(キム・イルソン)主席と故・金正日(キム・ジョンイル)総書記父子の肖像画を総連事務室から撤去すること▲日本人拉致被害者全員の解放と北朝鮮に渡った在日朝鮮人・日本人配偶者の自由往来実現▲総連組織綱領にあった核兵器禁止項目の復活▲系列金融機関を通じて消えた在日同胞の莫大(ばくだい)な財産の行方の解明▲総連幹部の朝鮮労働党からの離党または非党員の幹部就任―の5つだ。
総連側は提案書を即座に回収したが、波紋は大きかった。高氏は「総連に残っている人たちは総連が悪いとは言えないため、私が言った。総連はかつて、私の全てを捧げた組織だが、今の北朝鮮は女子中学生がテレビカメラの前で『大人になったら水素爆弾を作る科学者になりたい』と言うような国だ」と語った。
総連は1980年代末から90年代初めにかけ絶大なパワーを誇り、それこそ「平壌との現金パイプ」だった。在日朝鮮人が北朝鮮に渡った家族のために資金を送り続け、在日の企業家も朝鮮労働党と総連に献金した。総連でも独自に事業を行っていた。1994年、公安調査庁長官だった緒方重威氏は「朝鮮総連を通じ、北朝鮮に年間600億-800億円が流れ込んでいる」と明らかにした。また、総連系の朝鮮大学校で教員を務めた朴斗鎮(パク・トゥジン)コリア国際研究所長は「総連を通じて北朝鮮に流れ込んだ円貨は、数十年間の累計で1兆円にはなるだろう」としている。
だが1990年代半ば以降、総連は急速に力を失う。北朝鮮では数十万人が餓死している一方で、韓国では五輪とサッカー・ワールドカップ(W杯)が開催された。ただでさえ本国に懐疑的だった人々に2002年、衝撃を与える出来事があった。金正日総書記が自ら日本人の拉致を認めたのだ。総連の内部に詳しい在日朝鮮人は「全ては『日本政府のうそ』と言っていたのに、裏切られた気がした」と、当時を振り返る。
総連は当時、現金の調達に一層熱を上げるようになっていた。共産圏の崩壊と韓国の発展に焦った北朝鮮が核開発を目標に掲げ「個人の送金では足りない。企業からの献金を集めろ」と総連をせっついたためだ。総連は会員らの尻をたたく一方、独自のカネ稼ぎにも乗り出した。約40店のパチンコ店を運営し、不動産投機も行った。
だが、バブル崩壊に不正腐敗も重なり事業が失敗し、総連に資金を供給していた朝銀信用組合も破綻した。朝銀は1952年、在日朝鮮人が差別を乗り越えて生き残ろうと、資金を出し合って設立した金融機関だ。一時は預金総額が2兆5000億円に迫り、日本国内に38組合が置かれていたが、97年の朝銀大阪信用組合を皮切りに2001年にかけドミノ式に破綻した。
総連系機関誌の記者として活動し、幻滅を感じて組織を離れた金賛汀(キム・チャンジョン)氏(79)は「朝鮮総連は在日同胞の権利を守る団体としてスタートしたが、今や同胞に必要のない組織、なくなるべき組織になった」と述べている。
■朝鮮総連とは
1955年に結成された。日本の敗戦後、日本国内に残った朝鮮人60万人のうち、一時は50万人以上が加入している、または影響下にあった。同胞同士で助け合って生きるという旗印の下に結集し、信用組合や学校、病院も設立した。だが、歳月がたつにつれ組織の暗部が露呈。スパイ事件から北朝鮮産マツタケの密輸事件まで、さまざまな事件が波紋を呼んだ。韓日の情報当局は、日本人拉致にも朝鮮総連の執行部が直接的または間接的に介入したとみている。