このシーズンになると、小学校の新入生を持つ親たちは通学かばん選びに余念がない。子どもに少しでも良いかばんを買ってやりたいという気持ちは、親なら皆同じだ。そこに母親のセンスをそれとなく見せたいという見栄が加わることもある。

 韓国では最近、日本の小学生が使うランドセルが人気だ。インターネット上では、韓国で100万ウォン(約9万円)もする高額なランドセルを日本からの直接購入により半額で手に入れたといった書き込みも目につく。

 祖父母も加勢する。1940-60年代、風呂敷に教科書を包んでいた彼らの世代にとって、皮製のランドセルは羨望の的だった。教科書や弁当がごちゃ混ぜになる風呂敷包みと違い、箱型で教科書がしわくちゃになる心配のないランドセルは、それこそ新世界の品だった。その当時、生活に余裕がなくランドセルなど夢のまた夢だった祖父母たちが、代わりに孫に買ってやろうとポケットマネーをはたくのは理解できる。

 ところで、この小ぶりな皮のかばんには、韓国人にとってはのどに刺さった骨のような「歴史」が潜んでいる。日本かばん協会ランドセル工業会によると、1800年代後半の江戸時代末期、西洋式の軍隊制度が導入された際に輸入された軍人用の背のうがランドセルの始まりという。背のうがオランダ語で「ランセル」と呼ばれていたことから、「ランドセル」という言葉が生まれた。

 軍隊で利用されていたこの背のうが箱型になり、通学かばんに使われるようになったいきさつは、韓国人をさらに驚かせる。1887年、大正天皇(在位1912-26年)が学習院に入学する際、首相だった伊藤博文がお祝いに献上した箱型の通学かばんが、現在のランドセルの原形になったというのだ。伊藤博文とは誰か。朝鮮侵略の先頭に立ち、朝鮮第26代国王・高宗を強制的に退位させた元凶、安重根(アン・ジュングン)義士が狙撃した人物だということは小学生でも知っている。大正天皇の時代、日本は3・1独立運動(1919年)を武力で抑え込んだ。硬い皮のかばんには、このように韓国人なら決して忘れることのできない日本の侵略的な帝国主義の歴史が染み込んでいる。

 旧日本軍慰安婦をテーマにした映画『鬼郷』と、日本植民地時代の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)を扱った映画『東柱』が近ごろ話題を集めている。「歴史を忘れずにいよう」という自発的な声が、ともすれば埋もれてしまいかねない2本の映画をすくい上げている一方で、ランドセルブームに沸くのは矛盾しているようにも見える。

 しかし、製品としてだけ見るとランドセルはとても魅力的だ。ちょっとやそっとの衝撃では損傷しなさそうな頑丈な印象があり、しかも品質に定評のある日本製だ。130年前のデザインの原形を保ちつつ、重さや材質だけを少し変えて伝統を固守している、代表的な「タイムレス・デザイン」(時代を超えて愛されるデザイン)だ。韓国にこんな学生かばんがあるだろうか。

 ランドセルに宿る帝国主義の歴史を取り上げたのは、「だからこのかばんを使うのをやめよう」と主張するためではない。私たちが達成すべき「克日(日本を克服する)」課題の中には、日本製品に堂々と品質で勝つことも含まれていると信じているためだ。

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