日本プロ野球79年の歴史にはさんぜんと輝く「不滅の記録」がある。最多勝利・奪三振・最多安打だ。最多勝利・奪三振は1969年に引退した在日韓国人2世(後に日本国籍を取得)・金田正一の記録が破られていない。最多安打は1981年に引退した在日韓国人2世の張本勲の記録がそのまま保たれている。張本は今も堂々と韓国国籍を変えていない。そんな張本に、日本人たちも記録以上の感動を感じるという。

 数年前、酒の席で張本の手を見たことがある。右手薬指と小指が曲がり、くっついていた。幼いころに大やけどを負ったからだという。張本は5歳の時に原爆の閃光(せんこう)にさらされた被爆者でもある。原爆が落ちた時、近所にいた長姉は亡くなった。張本は現役時代、障害を公にしなかった。「言い訳になるかと思って、言わなかった」という。外国籍と障害者という二つの難関をひたすら努力することで克服した。張本が韓日両国で感動を与えるのはこのためだ。

 2010年、日本プロ野球に「1492試合連続試合フルイニング出場」という大記録が誕生した。11年間にわたり全イニングに出場したのは、在日韓国人3世として生まれ、日本国籍を取得した金本知憲だ。プロ野球人生のスタートは惨々だった。出身地のプロ野球チーム・広島カープに入団し、デビュー戦は3打数無安打2三振だった。その後、練習に練習を重ねた。ある監督は金本に「雑草はアスファルトの下からでも生えてくる。けれど、おまえはコンクリートで固めても出てくるやつだな」と言った。7番打者としてスタートし、5番打者、4番打者に昇格、03年に関西地方を代表するチームの阪神タイガースに誘われ、移籍した。

 日本の球界では金本を「アニキ」と呼ぶ。徹底した自己管理で模範を示し、44歳まで現役選手としてプレーした。現役時代にNHKが金本のトレーニングの様子を特集して放送したこともある。火鉢で小さな薪を燃やし、火に向かって祈り、修業する場面は、多くの日本人に強烈な印象を与えた。金本は引退記者会見で「7、8割はしんどいこと、2、3割の喜びしかなかったけど、少しの2、3割を追い続けて7、8割で苦しむ。そんな野球人生だった」と語った。ほかの在日韓国人たちもそのように生きてきたことだろう。

 特に在日韓国人の成功例が多いのが日本のスポーツ界と芸能界だ。国籍や出身ではなく、実力と成績がすべてを物語る果てなき競争社会だからだ。金本が来年から阪神タイガースの監督になることが決まった。在日韓国人たちは今も彼を「民族の誇り」と考えているそうだ。イ・スンヨプが読売ジャイアンツの4番打者になった時に感激した同胞たちだ。彼らの感動がここまで伝わってきているように感じる。(敬称略)

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