▲東京=金秀恵(キム・スへ)特派員

 日本のことを好きになろうと努力しているところだ。ほかに理由はない。好きになってこそ深く知ることができるし、深く知ってこそ正確に書くことができるからだ。それと同様に、韓国に対する批判についても、深く考えている日本人が発する言葉と、そうでない日本人が発する言葉には大きな違いがある。

 従軍慰安婦やサハリン残留韓国人を長年支援してきた明治大学の大沼保昭特任教授が朝日新聞で「(日本にも間違いはあるが)、韓国も被害意識にとらわれている」と語った。この言葉には胸に刻み込まれた。一方、ソウル特派員を務めた大手新聞社のベテラン記者は、慰安婦問題・独島(日本名:竹島)問題・対馬仏像盗難事件などあらゆる懸案を「卑日」という一つのキーワードでくくった。この記者は「日本は合理的だが韓国は不当で、日本がじっといても韓国が挑発してくる」という二分法を立て、答えを韓国人の劣等感の中に見いだそうとしていた。「長年取材してきたからと言って深く知っているわけではないのだな」と思った。

 日曜日の午後、東京の空は青かった。記事を書いている途中で顔を上げると、朝鮮日報東京支局の大きな窓ガラスの向こうには皇居があり、8月の日差しが降り注いでいる。その向こうには首相官邸がある。先週の金曜日の夜、安倍晋三首相が連立与党の幹部に会い、「反省」だけで「謝罪」が抜けている談話原案を見せた。安倍首相は14日に談話を発表する。その間に人は変わるのだろうか。いや、変わらないだろう。

 首相官邸と支局の間に靖国神社がある。他人の戦争に連行され、死んでいった朝鮮の青年数万人が「日本のために死んだ英霊」として本人の意思とは関係なくA級戦犯と共に合祀(ごうし)されている。終戦の3カ月前に神風特攻隊として死んだ植民地青年タク・キョンヒョンさんは出撃前日、部隊前の旅館で「きょうは朝鮮の歌を歌いたい」と言ってアリランを歌った。日本人の旅館の主人がこれを聞いて泣きながら記録した。靖国神社の前を通る時、私はときどき24歳のタクさんの魂に聞いてみたくなる。「痛かったでしょう? お母さんに会いたかったでしょう? その中で今、安らかですか?」と。安倍首相が15日に靖国神社に供物を送るだろうと日本のメディアは報じている。タクさんにとってそれは供養なのか、侮辱なのか。植民地になるということは、死んでも供養と侮辱を自ら選択できないことを意味する。

 韓日間には乗り越えられない崖(がけ)がある。植民地支配が過酷だったということは日本も認めている。何度も謝罪した。しかし、そこまでだ。私たちが望んでいるのは、植民地にしたこと自体に対する謝罪だ。安倍首相でなくほかの誰でもこの点について日本は「No」だ。

 日本は韓日強制併合が合法的に行われたとクギを刺す。「苦痛だったというのだからすまなく思うが、50年前に補償したから終わった話だ」という。最も前向きだとされる菅直人首相=当時=の談話(2010年)も、植民地支配が「その(当時の韓国人の)意に反して行われた」と言っただけで、強圧や「まやかし」は認めていない。日本人は「日本にこれをひっくり返せと言うのは、日本を否定しろということだ」という。それなら韓国人も同じように答えるしかない。「韓国人に『ああ、そうですか』と言えというのは、韓国人が誰であるかを否定しろということだ」と。

 4日後に安倍首相が何と言おうと、安倍首相の時代はいつか過ぎ去っていく。過ぎ去っていかないのは日本という国だ。引き返すことも、飛び越えることもできない崖を間に挟み、韓国人は日本という国と嫌でも共に安全保障や経済を含むさまざまな難題を解決していかなければならない。宿命である。韓国人は強く賢明に、そして柔軟にならなければならない。

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