コラム
【コラム】50年間「事故ゼロ」の新幹線
世界初の高速鉄道である新幹線が開業してから、今月1日に50年を迎えた。1964年に開業した東海道新幹線は、日本の3大都市である東京・名古屋・大阪を結び、交通の大動脈としての役割を担ってきた。
新幹線が有名なのは、言うまでもなく営業運転の開始が最も早かったからだ。フランスのTGVが1981年、ドイツのICEは91年に営業運転が開始されたことを考えると、驚くべき早さだ。だが、それよりさらに驚くべきことは、半世紀にわたって、死傷者を出す事故を一度も起こさず運行を続けてきたということだ。これは世界の鉄道史でも類例のないことだ。
線路の上を高速走行するということは、工学的にそれほど難しいことではない。欧州では20世紀初めに、現在の高速鉄道の基準となる時速200キロ以上で試運転に成功している。だが、試運転に成功することと、長期間にわたって高速鉄道で毎日数十万人もの乗客を安全に輸送することは全く別だ。ここに新幹線の本質が隠されている。
1956年、日本国有鉄道(国鉄)=現・JR=に入社し、後に東日本旅客鉄道(JR東日本)会長を務めた山之内秀一郎氏(故人)は、『なぜ起こる鉄道事故』という著書でこう述べた。「新幹線は最初から、個々の安全システムをただ寄せ集めたわけではなかった。一つの統一された安全システムとして設計された。これが原点だ。そのために、大規模な事故を起こすことなく運行を続けているのだ」
山之内氏によると、新幹線は衝突の危険が感知された場合、自動的にこれを確認し、列車を止めるシステムを世界に先駆けて導入したという。これにより、乗務員が信号の確認を怠ることによる事故発生の可能性をほぼゼロにすることができた。また、構造的に単純な事故防止策も追求した。新幹線は開業当初から踏切を設けないことにより、踏切事故の危険性を排除した。また線路内に入る列車の種類も制限した。列車の種類が多いと運行システムが複雑になり、予想外の事故が発生する恐れがあるとの理由だった。
もう一つ重要なのは補修の問題だった。新幹線は当初、朝から夜まで乗客を輸送し、深夜には貨物列車を運行するという計画だった。だがこの場合、線路や車両を補修する十分な時間を確保できなくなる。結局、午前0時から6時までは列車の運行を完全に停止し、この時間に補修を行うことを決めた。目先の利益を得るため夜間に貨物列車を走らせた場合、後に大規模な事故が発生するかもしれないと判断したのだ。
安全対策とは結局、誓いの言葉を繰り返すだけで済む問題ではない。人的なミスによって事故が発生すれば、魔女狩りのように責任を追及するものだが、実際のところ、人間はいくら真面目に仕事をしても、うっかりミスを犯すことがある。それを全て犯罪のように扱っていては、安全対策は精神的な武装に偏りかねない、と専門家たちは指摘する。
新幹線が50年にわたり、死傷者を出す事故を起こさず運行を続けてきたのは、過去の鉄道事故の原因を分析した後、あらゆるシステムにどのような弱点があるかを徹底的に分析したからこそ成し得たものだ。新幹線とは、そのような分析を基に、長期的かつ大規模な計画の下で策定した「安全システム」そのものなのだ。