「われわれの先祖が隣国の皇后を殺害した。見るに耐えないことだが事実だ。事実を伝え反省すべきだ」 日本の教員やOBからなる「明成皇后を考える会」の古沢チヨカツ会長(87)の言葉だ。同会の会員15人が今月6日、韓国を訪問した。乙未事変(1895年に明成皇后〈日本での呼称:閔妃(びんひ)〉が殺害された事件)が発生した10月8日に合わせ、明成皇后が眠る京畿道南楊州市の洪陵で祭祀(さいし)を行うためだ。2005年以来毎年、今年で10回目の来韓だ。

 きっかけとなったのは、ドキュメンタリー監督のチョン・スウン監督(71)が05年に制作した『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』の撮影だ。04年11月、取材源の甲斐利雄さん(85)が歴史に関心を持つ教員13人を募った。元英語教師の甲斐さんは「私が明成皇后殺害事件を初めて知ったのは60歳のときだった。学校で教わっていないから、ほとんどの日本人はこのような事実を知らない。正しい歴史認識を持たないままで真の平和はない」と話した。翌年、直接歴史の現場を目にした甲斐さんたちは、明成皇后殺害の実行犯の一人、国友重章(1861-1909)の孫に当たる河野竜巳さんとともに洪陵を訪れた。墓の前でひざまずき「私は罪人だ」と涙を流した84歳の河野さんと一緒にいた会員たちは皆涙を流した。

 チョン監督は「安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺した最大の理由も『明成皇后殺害の罪』だった。近代の韓国と日本の悲劇は乙未事変から本格的に始まった」と話した。甲斐さんは戦争放棄などを主な内容とする日本国憲法第9条が、今年のノーベル平和賞受賞の有力候補に浮上したという本紙の記事を指差した。そのような国際的なムードにもかかわらず、安倍首相はあくまでも慰安婦問題を否定し、独島(日本名:竹島)の領有権主張など歴史の歪曲(わいきょく)について一言の謝罪もしていない。私たちが先頭に立ち、若い世代に正しい事実を教えなければならない」と語った。

 甲斐さんたちは皆、熊本県に住んでいる。壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)で先鋒となった加藤清正の本拠地だ。明成皇后殺害に関与した日本人48人のうち21人もまた熊本県出身だ。古沢会長は「きょう、景福宮で会った韓国の人たちは、最近の日本政府の態度を知りながらも、私たちを温かく迎えてくれた。もっとがんばらなければならないと思った。死ぬ前に、熊本に明成皇后の慰霊碑を建立したい」と話した。事務局長のモリモトヤスヒロさん(72)は「日本人の中には、植民地支配の歴史だけをもって、韓国人が日本人に対しコンプレックスを持っていると考えている人たちがいまだにいる。しかし、乙未事変の惨状が広く知られれば、そのような偏見もすぐになくなるだろう」と語った。

 10回にわたって訪韓を繰り返すうち、会員は61人に増えた。会員たちは2005年から毎年「日韓の過去を直視して さらなる友好を」と題する文集も刊行している。来韓の際には退職年金から費用を出している。外部からは何の支援もないが、今年も60代の元教員2人が新たに会員となった。今年は東京にある日本退職教職員協議会からも幹部1人が派遣され、8日に洪陵を参拝する一行を見守ることになった。モリモト事務局長は「来年には明成皇后殺害事件から120年、韓日国交正常化から50年がたつ。私たちの会を全国規模に発展させ、より多くの日本人が正しい歴史を知るようにしていきたい」と話した。

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