『李完用(イ・ワンヨン)評伝』の著者、キム・ユンヒ江原大学研究教授(韓国史)=44=は、本紙の電話インタビューに対し「李完用を見て、40代に差し掛かり現実と妥協する自分の姿が思い浮かんだ。だが、本書が李完用の“売国”に対する弁護として読まれることは望んでいない」と語った。 -なぜ今、李完用なのか。  「企画者の依頼を受けて、個人的に好奇心が湧いた。私も40歳をとうに越え、生活の中で現実と妥協し、合理化しようとするところがあった。新たな決心が必要だという観点から、李完用を見詰めることにした」 -従来の研究との違いは?  「これまでの研究はおおむね、李完用が個人的栄華と欲望ゆえに韓国併合に臨み、政治的変身の鬼才だという視点からのものだった。私は、李完用の政治的変身より、普通の人間が社会生活を送る中で持つ悩み、つまり欲望と節制、所信と揺らぎというキーワードから見詰めた」 -新たに明らかになった点や浮き彫りになった点は?  「李完用の生活は、欲望とは隔たりがあった。当代第2の金持ちだったが、生活は概して簡素だった。趣味も、書や文房四宝(筆・墨・すずり・紙)の収集という程度だった。金を稼ぐことについて恥ずかしいとは思わず、野菜作りに直接投資して金を稼いだこともあった」 -李完用を「合理的近代人」と見るのは、どういう意味か?  「合理的だから肯定的というわけではなく、むしろ近代人の道具的合理性が持つ盲点を示したという意味だ。与えられた現実の中で最も実用的な選択をするのが最善、という信念に潜む盲点のことを言っている」 -李完用に対する弁護論として読まれる可能性もあるが?  「誤解がなければいいと思う。私も、売国奴という判断に異論はない。 ただ“売国奴”の中に内在する、近代的思考体系の限界を示したかった」

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