萬物相
【萬物相】サッカー北朝鮮代表の思想批判
1970年代後半、北朝鮮の女優・禹仁姫(ウ・インヒ)が、 北朝鮮に渡った在日朝鮮人の青年と車内で関係を持ち、一酸化炭素中毒で気を失ったまま発見された。青年は亡くなったが禹仁姫は一命を取りとめ、思想批判の場に引きずり出された。禹仁姫は堂々と自己批判しただけでなく、党の複数の幹部クラスの人物と性的関係を持ったことをすべて暴露し、公開銃殺された。 金日成(キム・イルソン)総合大学の学生たちは、授業はサボっても、2カ月に1度開かれる思想批判集会には「面白いことが多い」ため、必ず出席するという。ある男子学生が、婚約者に一方的に婚約破棄を申し出たことが原因で、思想批判の場に立たされたことがあった。自己批判を聞いた総長が、「それで、(婚約者と)結婚するのか、婚約破棄するのか」と問いただすと、男子学生は「結婚します」と声高に叫んだ。集会の場は笑いに包まれた。 1966年、サッカーのワールドカップ(W杯)イングランド大会でベスト8入りを果たした北朝鮮代表は、帰国すると英雄扱いを受けた。だが2年後、金日成主席が甲山派(咸鏡道派)を粛清したのをきっかけに、批判の矛先は代表選手たちに向けられるようになった。甲山派が、W杯の好成績を自分たちの業績と主張していたためだ。選手のほとんどが思想批判集会で自己批判をさせられ、咸鏡南道の田舎に追いやられた。選手たちには「準々決勝のポルトガル戦を控え、外国人女性と一夜を共にしたせいで、力が出ずに逆転負けした」という不名誉なうわさまでまとわり付いた。 言動や考え方の過ちを告白し、自己批判や相互批判をする思想批判集会は、住民の統制に大きな役割を果たしている。今年、44年ぶりにW杯に出場しながらも3戦全敗を喫した北朝鮮代表が、思想批判集会の場に立たされた、と自由アジア放送が報じた。参加者たちはキム・ジョンフン監督や選手を批判し、さらに選手たちも一人ずつキム監督を批判したという。キム監督が党を追われ、平壌の建設現場で働かされているとのうわさもある。 金正日(キム・ジョンイル)総書記は三男ジョンウン氏の後継固めのために、W杯の成績をジョンウン氏の功績に仕立てようともくろんでいたが、思惑通りにいかなかったことで、キム監督が罪をかぶって犠牲になった形だ。 キム監督はW杯の期間中、「将軍様(金総書記)が開発された目に見えない携帯電話を使用し、将軍様から戦術の助言を直接いただいている」と語っていた。北朝鮮がポルトガル戦で、攻撃一辺倒の試合運びをして7-0で敗れると、専門家は「守備を重んじるキム監督の戦術ではない。『金正日監督』が目に見えない携帯電話で的外れな指示を与えたようだ」と分析した。「主体思想の国」では、監督を引き受けることも選手としてプレーすることも、並大抵のことではないようだ。
申孝燮(シン・ヒョソプ)論説委員