問題は日本に対する二重規範的な態度だ。韓国が日本の大衆文化を公式に開放し始めたのは1998年のことだ。それまで、韓国では皆、あらゆる分野で日本のまねをしていたが、誰もその事実を公に認めない国だった。むしろ反共主義と同じくらい激しく厳しい反日主義が社会全体に渦巻いていた。スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェク氏の言葉を借りれば、日本の文化を享受しながらもその事実を意識的・無意識的に否定する「obscene(わいせつ)」な状態にあったのだ。
2020年、「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義記憶連帯)」のメンバーたちが、日本軍慰安婦被害者たちが暮らす「平和と癒しが出会う家」で、日本のスナック菓子を食べながらワークショップ後の打ち上げを楽しんだことを思い出してみよう。ジジェク氏が言った「わいせつ」とはまさにこういう意味だ。米国のブランドの服を着て、iPhone(アイフォーン)とiPad(アイパッド)で武装して反米運動をする市民団体も同じだ。わいせつな態度で反日主義と反米主義の扇動をしているのだ。彼らは国民が現実の中で日本を見つめることを望まない。想像の中「日帝」と「外勢」に対して永遠の独立運動が続くことを願っている。そうすれば、わいせつな反日主義が維持できるからだ。
金大中(キム・デジュン)政権の日本大衆文化開放以降、こうした矛盾は徐々に正されてきた。日本のまねをした時代は幕を閉じた。アーティストや企業家たちはこれまで積み重ねてきた実力をもとに創造力を発揮し始めた。K-POPがJ-POPより世界的になって人気を享受し、サムスンがソニーよりも認知度の高いブランドになったのだ。日本をおとしめながらまねをする「Fast follow(ファスト・フォロー)」モデルはもうこれ以上通用しない。世界10位以内に入る経済大国として、自らの道を開拓すべき段階に到達したという意味だ。
問題は文在寅(ムン・ジェイン)政権だった。「二度と日本に負けない」という空虚なスローガンを叫んだ5年間で韓国の半導体産業は「超格差」を失ってしまった。わいせつな反日主義を公論の場から完全に追放しなければならないのはこうした理由からだ。日本に植民地支配されたということや、植民地支配からの解放後も日本を「習作」してきたというのは、誇らしいことではないが無理に否定することもできない韓国の歴史だ。真の「創作」はそのような過去を認めた時に初めて可能になるものだろう。
ノ・ジョンテ経済社会研究院専門委員・哲学