自身にとって3回目の五輪出場だが、初めて五輪に出るという心構えでスケート靴のひもを締めた。韓国スピードスケート界の看板選手キム・ボルム(28)=江原道庁=がこれまでの心痛を乗り越え、2022年北京冬季五輪に出場する。キム・ボルムは今大会のスピードスケート女子マススタートにチームメイトのパク・ジウ(23)=江原道庁=と共に出場する予定だ。
出国を控えて、ソウル市内の泰陵選手村で練習中のキム・ボルムは先日、本紙の電話取材に「北京が初めての五輪のつもりで、また始めようと頑張っています」「外国の選手たちが瞬間速度をかなり上げられるようになっているので、その部分を重点的に補うようにしています」と語った。
キム・ボルムは2021-22シーズンの国際スケート連盟(ISU)ワールドカップ(W杯)で総合8位になり、五輪出場権を獲得した。しかし、表彰台には一度も立てなかった。W杯第3戦の6位が最高成績で、第4戦ではレース中に転倒した。キム・ボルムは「昨シーズンは(新型コロナウイルス流行で)出場できず、映像で見る時も『かなり速くなった』と思っていましたが、実際に直接競技をしてみると、相手選手たちの方が思ったより強くなっていたと感じました」「W杯での物足りなさを五輪でスッキリさせたいです」と語った。
「平昌冬季五輪の時のことを思い出したくないという気持ちもあるか」という問いに、キム・ボルムは「半々です」と答えた。4年前の平昌五輪はキム・ボルムにとって消すことのできない傷を残した。キム・ボルムは当時、チームパシュート(団体追い抜き)準々決勝戦で韓国体育大学の先輩・盧善英(ノ・ソンヨン、32)=引退=を意図的に置き去りにしていじめたという非難にさいなまれた。キム・ボルムは試合翌日の記者会見に釈明して謝罪したが、盧善英は番組に出演してこれに反論した。キム・ボルムはマススタートで銀メダルを獲得したものの、観客席に向かって謝罪のクンジョル(ひれ伏すお辞儀)をし、涙を流した。
キム・ボルムは平昌五輪の1カ月後、不安になるという症状を訴えて入院した。文化体育観光部は同年10月の監査報告書で、「『いじめ滑走』疑惑は事実ではない」と明らかにしたが、キム・ボルムが精神的・経済的打撃を受けた後のことだった。キム・ボルムは結局、昨年11月に盧善英を相手取り損害賠償請求訴訟を起こし、今も法廷での争いが続いている。
キム・ボルムは「当時のことを思い出さないというわけではありません」と言った。多くの人々の前で話すことに対する恐怖については、「結局は1人だけの闘いであって、私が(自ら)勝って、克服していくべきことです」と答えた。心の傷を乗り越えて、再び立ち上がれるようになったのには、母親の力が大きかった。母親はキム・ボルムに「たった1人でもあなたのことを応援してくれるなら、滑らなければならない。私が応援してあげる」と慰めてくれたという。
こうして、やっとのことでスケート靴を再び履くようになったが、新型コロナが再び行く手を阻んだ。室内体育施設であるスケートリンクは閉鎖され、氷上での練習はしばらくできなかった。キム・ボルムは「その時、スケートの大切さをあらためて知りました」と語った。
「毎日続く練習がとてもつらくて、スケートが嫌だったこともありました。ですが、スケートができない状況になると、滑りたいと思うようになりました。『ああ、私はスケートが好きなんだな』と思ったんです」
北京大会について、キム・ボルムは「五輪の舞台だから、争いがもっと激しくなるでしょうし、それだけ変数があるでしょう」「競技当日の体調も重要なポイントになりそうです」と話した。それでも、メダルよりも「悔いのないレース」が今大会の目標だと言った。
「メダルを取っても悔いが残ったこともありますし、メダルが取れなかったのに『今日は良かった』と思ったこともあります。北京では試合が終わった後、物足りなさや悔いが残らず、スッキリした気持ちになれればと思います」
キム・サンユン記者