20世紀の日本では「読書の黄金時代」が幕を開けた。本が大量生産され、全国的な流通網を備えることにより資本主義的産業として出版の構造が成立した。1923年、講談社が「一家一冊」を掲げて大衆総合誌『キング』を創刊。全国民を対象とする「百万雑誌」が誕生する。26年には改造社が「現代日本文学全集」63巻の配本を開始し、全国的な「円本ブーム」が起きた。公務員の初任給が75円だった時代、長編小説3巻が収められたボックスを1円で購入できるようにし、「君、あの本読んだか?」という会話が日常の中に定着した。1930年前後に円本ブームが衰え、膨大な在庫が1冊10-30銭で投げ売りされるようになると、「経済的に余裕がない階層も容易に本を買える」という当初の理想が現実になった。トルストイの『復活』やユゴーの『レ・ミゼラブル』が、酒屋の女性や温泉旅館の女給によく読まれるものとなった。27年に廉価な小型本、岩波文庫が登場したことも、「書籍の時代」を後押しした。
日本の話ではあるが、全集の時代や文庫本の時代をいずれも経験した韓国との関連性を探索しつつ、興味深く読むことができる一冊。日本の歴史になじみがない読者は、前半部分を飛ばして明治時代から読むのもいい。また著者は、読書大国誕生の秘訣を自国内にのみ求めることはしない。「1592年の豊臣秀吉の朝鮮侵略で朝鮮の先進的な活版印刷機、大量の銅活字とその鋳造機をことごとく略奪してくるという、手荒なことが起きたりもした」とし「1590年にイエズス会の宣教師らがグーテンベルク式の活版印刷機を持ち込んだことと併せ、これが日本人と活版印刷術の最初の出会い」と明記した。デジタル革命が紙の本を放逐したのは日本も同様。ただし著者は、嘆息するというよりは前向きだ。「読書がそれほど大切なものならば、その魅力を再発見するためにも、一度はそれを失ったしまう方がいい」。源氏物語を耽読した11世紀の少女、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、随筆『更級(さらしな)日記』にこう記した。「誰にも邪魔されず几帳(きちょう)の中で横になり、(源氏物語を)一冊一冊引っ張り出して読んでいく心地は、后(きさき)の位も問題にならないほどだと思う」(一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち臥(ふ)して、引き出(い)でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ)。280ページ、1万7500ウォン(約1700円)。
クァク・アラム記者