「明治時代に新聞連載物が人気を集め、一定の活字を消化する習慣を体得」
20世紀には文庫本・雑誌が大流行…黙読が定着し、「読書の黄金時代」へ
【新刊】津野海太郎著、イム・ギョンテク訳『読書と日本人』(心の散策社刊)
始まりは新聞だった。明治時代初期の1876年、教育者で啓蒙(けいもう)思想家の福沢諭吉が書いた17ページの小冊子『学問のすすめ』は340万部も売れた。国民の160人に1人が読んだことになる超ベストセラーだった。「教養あってこそ士農工商全てが自らの本分を遂行できる」という硬い内容の本が庶民にまで読まれ、「読書大国・日本」をつくり上げることができた秘訣(ひけつ)は「新聞」だ-と著者は推論する。文学史学者・前田愛の論文「明治初年の読者像」によると、明治10(1877)年ごろの読売新聞の発行部数は、創刊からわずか3年で2万5000部に達していた。「新聞連載物を読むことで、人々は毎日一定の活字を消化する習慣を体得した」
出版人で評論家の著者は、日本初の小説と呼ばれる11世紀の『源氏物語』から21世紀の電子書籍に至るまでの日本の読書文化史を取り上げ、「読書国民の誕生」を追跡する。ロシアの民俗学者レフ・メチニコフは『回想の明治維新』にこう記した。「車夫や、全身に入れ墨のある馬子や、茶屋などどんな店でも見掛ける女性たち-そうした人々は皆例外なく手あかのついた本を何冊か持っており、暇さえあればそれを耽読していた」。著者は、このように多くの外国人を驚かせた日本人の読書欲と教養に対する敬意がどのように形成されたのかを追う。
著者は、複数の人間が一緒に声を出して本を読む「音読」から、一人で静かに本を読む「黙読」への転換を「近代読者」の誕生と見る。1900年前後の時点で日本人の識字率が90%近くに達していたことも黙読に寄与したが、作者が読者へ内密に「ささやきかける」小説が翻訳された影響が大きい、と主張する。その代表的な作品が、抒情的な自然描写、言文一致体を特徴とするツルゲーネフの小説『あひびき』で、1888年に翻訳紹介された。「こうした文章は読者に高い『集中度』を要求するので、一人で口をつぐんで読むときに最大の効果を発揮する。そのような読書を一度でも体験したら、大きな声を出して読んでいた従来の『共同の読書』がどれほど粗雑で『幼稚な』ものであったかを思い知ることになる」