韓国カトリック初の「血の殉教」、230年経て発見

尹持忠・持憲兄弟と権尚然の遺体、全羅北道完州の「草南イ聖趾」で発見
斬首刑・凌遅処死刑に遭った痕跡あり
韓国カトリック「金大建神父生誕200周年に神が与えてくださった大きな大きな贈り物」

 韓国カトリック初の殉教者である尹持忠(ユン・ジチュン)パオロ=1759-91=と権尚然(クォン・サンヨン)ヤコブ=1751-91=の遺体が全羅北道完州郡の「草南イ聖趾(し)」で発見された。1791年の辛亥(しんがい)迫害で殉教してから230年ぶりのことだ。尹持忠の弟で、1801年の辛酉(しんゆう)迫害で殉教した尹持憲(ユン・ジホン)フランシスコ=1764-1801=の遺体も併せて確認された。これまで彼らの墓の正確な位置は分かっていなかったが、「草南イ聖趾パウベギ聖域化」事業の最中に発見された。カトリック全州教区長の金仙泰(キム・ソンテ)主教は1日、遺体発見の事実を発表するとともに「韓国殉教史の始まりとなる方の遺体を見つけた記念碑的事件」「金大建(キム・デゴン)、崔良業(チェ・ヤンオプ)神父生誕200周年に当たる年に、神からの大きな大きな贈り物」と語った。

 殉教者の遺体は今年3月11日に発見された。聖域化作業のため無縁故墳墓8基を改葬中、作業員が5号墓を2メートルほど掘り下げると「白磁沙鉢誌石」が出てきた。沙鉢(器、どんぶり)の内側には漢字で「尹公之墓」「俗名持忠、聖名保祿」などと刻まれていた。「保祿」は尹持忠の洗礼名「パオロ」の当て字だ。湖南教会史研究所長のイ・ヨンチュン神父は「銘文を見た瞬間、鳥肌が立った」と語った。230年間行方が分からなかった韓国カトリック初の殉教者の墓を確認した瞬間だった。3号墓からは権尚然の名前などが刻まれた白磁沙鉢誌石と遺体が出てきた。

 墓から尹持忠・権尚然の痕跡が見つかると、全州教区は各界の専門家からなる遺体の鑑識団を結成した。宋昌虎(ソン・チャンホ)全北大学医学部解剖学科教授、尹徳香(ユン・ドクヒャン)元全北大学考古文化人類学科教授と国防部(省に相当)遺骸発掘団のイム・ジョンミン鑑識官が加わった。一同は全北大学医学部・歯学部および獣医学科の教授と共に出土品の放射性炭素年代測定、遺伝情報調査と解剖学的鑑識も行った。調査の結果、性別はいずれも男性で、推定年齢は殉教当時の年齢と符合した。尹持忠・権尚然の大腿(だいたい)部側の骨を5センチ切って確保したDNAにより、Y染色体の父系確認検査(Y-STR)を行った結果、それぞれ海南尹氏、安東権氏の親族男性5人の遺伝情報と一致したという。また8号墓の遺体はDNA分析の結果、尹持忠の弟・持憲と判明した。

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キム・ジョンヨプ記者 , 金翰秀(キム・ハンス)宗教専門記者
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  • ▲韓国カトリック初の殉教者である尹持忠の遺体の一部。第5頸椎に斬首された痕跡(円内)が見られる。鋭い物で切断されたと推定される「鋭器損傷」が残っている。/写真=カトリック全州教区提供

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