2000年代半ば、米国出張の途中でテレビのスポーツニュースをつけたところ、終わったばかりの全米女子プロゴルフ(LPGA)ツアーで「アナザー・サウス・コリアン(別の韓国人)がまた優勝した」と言っていた。「米LPGAはいつも決まって『サウス・コリアン』が優勝するスポーツだ」というアナウンサーの言い方が興味深かった。この20年間、朴セリ(パク・セリ)と「セリ・キッズ」が築いてきた韓国女子ゴルフ全盛時代は神話だ。4年前に訪韓したトランプ前米国大統領は国会演説で、韓国の奇跡のような経済発展について語る際、女子ゴルフに言及した。同年の全米女子オープンで1位から4位までがすべて韓国人選手であり、10位までの8人が韓国人選手だった。世界の女子ゴルフ界で「サウス・コリアン」という名前は、全米プロゴルフ協会(PGA)ツアーにおける「ゴルフの皇帝」タイガー・ウッズと同等だった。
ステイシー・ルイスはかつて米国トップの女子ゴルフ選手だった。ところが、いつも韓国人選手に優勝を阻まれた。韓国人選手に阻まれて優勝を逃したルイスはインタビューで、「私はこれだけ韓国人選手20人余りと闘っている」と言った。その言葉は間違っていなかった。米国のネリー・コルダは2年前、韓国の大会に出場して一時首位に立ったが、逆転負けした。コルダは「韓国の選手たちはどうやってこのように難しいコースでうまく打てるのか分からない」と言った。