日本が米国に対して原爆投下に対する謝罪を最後まで要求していたら、5年前の当時オバマ大統領の広島訪問は実現しなかったことだろう。太平洋戦争の際、日本が決死の抗戦に固執したため、核兵器の使用は避けられなかったというのが米国主流の見解だった。日本は謝罪の要求を撤回した。その代わり「核のない世界をつくろう」という趣旨に米大統領の賛同を促した。被爆現場での平和宣言の呼び掛けは実に力強かった。広島を訪れたオバマ大統領も「犠牲になった日本人、韓国人、そして米軍の戦争捕虜を慰めるため」と、訪問の目的が普遍的人類愛の具現にあることを明らかにした。
慰安婦問題も加害者と被害者の過去を乗り越えて戦時女性の性的暴力反対と女性の人権伸張に向けた韓日共同宣言として日本に提案していたら、一体どうなっていただろうか。世界が見つめる中、被害者が先に差し出す手を加害者が振り切ることは難しかったことだろう。韓日両国は過去の傷を癒やし、すでに新しい未来を開いていたかもしれない。
日本は経済的には先進国だが、女性の人権面ではそれにはるかに及ばない国だ。数年前に米国発の「ミートゥー」ブームが巻き起こった際も、日本の女性は大きな声を出せなかった。先月は東京オリンピック組織委員長が「女性が多ければ会議が長くなる」と妄言を吐き、その地位から退いた。そのルーツは根深い。日本の国民文学といわれる『忠臣蔵』には、主君の敵討ちのための旗揚げ資金を用意するため、武士が妻を遊郭に売り飛ばすシーンがある。日本が大東亜共栄圏を掲げて起こした戦争に、アジア各国の女性を従軍慰安婦として動員した論理と何ら変わらない。敗戦後に米軍が駐留すると、政府主導で公娼を設置し、自国の女性を従軍慰安婦にしてしまった。後日、首相になる池田勇人氏は「1億円で日本女性の純潔を守れるなら安いもの」と極言した。