今年米国メジャーリーグで活躍した金広鉉(キム・グァンヒョン)投手は、32歳という若さにもかかわらず、数年前に奥歯のインプラント治療を受けた。あまりに強く歯を食い縛って投げるので、奥歯が傷んできた。歯を食い縛ると、瞬間的に筋力が増し、集中力が高まる。インプラントを入れてゴルフの飛距離が伸びたという高齢者は多い。だが、しっかり食い縛るとおよそ100キロの荷重が歯にかかり、微細な骨折が生じかねない。そういうわけで、このごろはボクシングやラグビーだけでなく、バッターもマウスガードをはめる。
日本で、老いたネズミを、奥歯があるネズミとないネズミに分け、迷路をたどる記憶力テストの実験を行った。奥歯があるネズミは、多少時間がかかっても迷路を通り抜けた。逆に奥歯がないネズミたちは、迷路の中をさまよい、とんでもない道へ入り込むばかりだった。このネズミたちをMRI(磁気共鳴画像装置)で撮影してみると、短期記憶を担当する脳内の「海馬」が衰退していた。かみ合う奥歯がないと、認知機能も落ちる。「かむ男」はかめない男性より片足立ちで平均7秒長く耐えられる、という研究もある。
米国の1ドル札には、初代大統領ジョージ・ワシントンの顔が登場する。口を閉じ、強靭(きょうじん)な意志の表情が収められている。彼は歯が腐って何本かなくなってしまった「う蝕(しょく)症」、いわゆる虫歯の患者だった。英国と戦う一方、歯の痛みとも戦わなければならなかった。後には、数本の歯と義歯を針金でなんとか縛り付けてすごした。それを維持しようと、顔の筋肉を緊張させて唇をぎゅっと閉じ、下顎を上に付けた。その状況が、独立に対する決然たる意志と映ったのは皮肉だ。