ナチスは大規模災害を通じて独裁体制を完成した。1933年2月27日に起こったベルリンの帝国議会議事堂火災事件がそのきっかけになった。国権のシンボルが事実上全焼したため、これを見守っていた首都ベルリン市民の心理的な衝撃は非常に大きかった。当時首相を務めていたヒトラーとナチ党はこの瞬間を逃さず、これを政治的な勝負の一手とした。逮捕された容疑者は精神病歴のある共産主義者で、警察には単独の犯行と陳述し、当局もそのように判断した。
ところがヒトラーは「ドイツを占領しようとする共産主義者たちによる組織的蜂起」「悪辣(あくらつ)な病菌に鉄ついを加えようとする天の啓示」と主張し、共産党はもちろん、社会民主党所属の政治家や知識人など数千人を無差別逮捕した。1週間後の総選挙でナチ党は43.9%を得て大勝し、その2カ月後には選挙によって掌握した議会で授権法を成立させた。ヒトラーとナチ党に立法を含む国家運営の全権が与えられ、それ以外の政党は解散の手続きが進められたのだ。
韓国の与党・共に民主党が最近のコロナ感染拡大、あるいは集中豪雨による水害など、大規模災害に対処するやり方を見ていると、1世紀前に火の手が上がったベルリン議事堂のことが頭に浮かんだ。程度の差はあるだろうが、国家的災害を野党圧迫の道具とする点において、ナチ党の行動を連想させるパターンが見られるからだ。コロナ事態の場合、8・15光復節集会を主導したサラン(愛)第一教会のチョン・グァンフン牧師に対する批判が、民主党によって「コロナの感染拡大は全て(野党)未来統合党の責任」とする政治スローガンに変質している。民主党のイ・ヘチャン代表は「感染爆発の責任を否定する統合党を理解できない」と述べ、またパク・クァンオン最高委員は「統合党放置によって大災害のような事態が起こった」と主張した。