日本からまたノーベル賞受賞者が誕生した。科学分野だけですでに24回目だ。最も批判されるのは韓国の教育だ。ところで日本も韓国のように数十年にわたって詰め込み式教育を行い、客観式相対評価を行ってきた国なのに、一体韓国と何が違うというのか。ソウル大学物理学科のキム・デシク教授は、著書『勉強論争』(チャンビ刊、2014)の中でその理由について語っている。キム教授は、韓国の勉強文化を表す壮元及第(トップ合格)DNAと日本の勉強文化を表す職人根性DNAという二つの概念で説明している。
長年にわたって韓民族は、官吏を試験で選抜してきた。全国民を対象にしているわけではないにしろ、身分が個人の努力によって上昇する余地が同時代の他の国々よりも多かった。従って、古くから勉強の目的は立身揚名(社会的な地位や名声を得ること)だった。トップ合格が勉強する全ての人々の夢だったのだ。韓国のそうめん屋のオーナーは、子どもがそうめん屋を継ぐよりも、一生懸命に勉強して立身揚名するのを願う。
ところが、日本には一生懸命に勉強して立身揚名する体制がなかった。勉強するというなら、その道で大家になるのを望んでいるわけで、その勉強を足場に他の何かを期待するといった認識そのものがたやすいものではなかった。数千年にわたって王朝が一度も変わったことがなく、身分制度が引っ繰り返ったことがないため、侍の家系は代々侍になり、うどん屋の息子はより良いうどんを作るのが誇らしい生活だった。つまり、韓国ではとんカツ屋の息子が国家試験にパスして判事や検事になるのが誇らしい文化であるのに対し、日本は3代がとんカツを作るのが誇らしい文化なのだ。