2012年夏のある日の午後、平壌の外れにある姜健総合軍官学校の校庭に平壌市内の大学生たちが集められた。しばらくすると、目隠し状態で胸に大きな名札を付けた約10人の芸術団員が引かれてきた。軍人たちが団員たちを一人ずつ木の杭に縛り付けると、すぐに裁判が始まった。「これらの団員は、性に関する動画を視聴し、それを再演する映像を作って流布した。人民の名で処刑する」
高射銃を積んだ車がこれら団員たちの40メートル前方で止まった。「撃て」という合図とともに、口径14.5ミリの四つの銃身が一度に火を噴いた。銃身一つにつき60発ずつ、一人当たり240発が撃ち込まれたことになる。処刑が終わると、「このような民族反逆者たちを埋葬する場所など共和国内には存在しない」という言葉とともに、すでにもともとの状態をとどめていない遺体をタンクで踏みつぶした後、火炎放射器で焼き尽くした。当時この現場を目撃していた北朝鮮の大学生が証言した公開処刑のシーンだ。
ある国際人権団体が脱北者610人を対象にインタビューを行い、北朝鮮の323カ所に上る公開処刑場を公開した。咸境道が200カ所と最も多く、平壌にも4カ所存在していることが分かった。公開処刑は川辺や空き地、畑、運動場などで行われるが、見物人は数百人から多いときで1000人にも上るという。見物人の最前列には小学生、その後には中・高生、最後列には一般の住民が並ぶという。脱北者のうち83%が公開処刑を直接見たことがあると回答したほか、見物当時の年齢が7歳だったと答えた脱北者もいた。
北朝鮮の一般的な公開処刑では、死刑囚一人につき射撃手3人が3発ずつ計9発を撃つ。死刑囚の口の中には石や金属などを入れることで、一言も話すことができないようにする。家族は必ず現場に来なければならないが、悲しんだり泣いたりすれば、この家族も反逆者として処罰される。むしろ「なぜこいつは党を裏切ったのか」と批判しなければならない。処刑された死体は家族に返されることはなく、適当に埋葬される。2005年にこうした公開処刑のシーンがひそかに録画され、全世界に公開されてからは、住民たちの携帯電話を全て提出させているという。当時の動画でも、多くの子どもたちが見物させられている姿が目だった。
北朝鮮の公開処刑は、刀で首を切り落としていた中世の暗黒時代よりも残忍だ。民主化人権運動を行ってきたという現政権の統一研究院は、1996年から毎年発刊されてきた北朝鮮人権白書が今年も発刊されたという事実を知らせていない。今年はこっそりとウェブサイトにアップし、その内容がメディアによって報じられると、まるで何事もなかったかのように削除してしまった。受け入れられるものがあり、受け入れられないものがあるということを知るべきなのだ。
韓賢祐(ハン・ヒョンウ)論説委員