文在寅(ムン・ジェイン)大統領が訪米するころ、ワシントンの桜は満開になるだろう。ワシントン市当局は毎年3月末から4月初めまで「桜祭り」を開き、観光客を集めている。米国はもちろん世界各国から観光客数十万人が集まり、ワシントンの観光収入の約3分の1をこの期間中に稼ぎ出すそうだ。ポトマック川のそばに作られた人工の入り江(タイダルベイスン)に沿って数千本の桜が満開になると、その美しさは言葉では表現しがたいほどだ。桜の花が咲くと日本大使館や各企業も忙しくなり始める。日米関係の強さをアピールしようとセミナーが相次いで開催され、桜祭りを主催する日本企業の看板がワシントン市内のあちこちに掲げられる。桜と同じくらい華やかな日本の「ソフト外交」がこの時期、輝きを放つ。
ところが、ワシントンの桜のルーツをたどってみると、韓国の胸痛む過去に行き着く。日露戦争の戦雲が濃くなっていた1904年初め、高宗は両国間の紛争に対して厳正な中立の立場を守ると宣言した。しかし、この宣言は弱い大韓帝国の没落を予告する「自己告白」に過ぎなかった。ロシア南下を極度に警戒していた米国は日本軍の韓半島(朝鮮半島)進入を容認し、その結果、日露戦争が発生した。戦争は日本の勝利に終わった。そして、米国と日本は韓半島の運命を分けた。高宗は李承晩(イ・スンマン=のちの大統領)を米国に派遣して支援を訴えたが、米国は日本と裏取引をしているという事実すら知らせず、1905年7月には有名な「桂・タフト協定」が結ばれた。米国は日本の韓半島支配を容認し、日本はフィリピンを米国に渡すという内容だった。そして数年後、日本は3000本の桜を米国に贈り、植樹された。当時の米国大統領はかつて東京に渡って密約を結んだウィリアム・タフトだったので、その意味を説明する必要は特にないだろう。そして1世紀経った今、この桜は堅固な日米同盟を象徴する大木に成長した。