ソウルにある朝鮮時代の宮殿「昌慶宮」と同時代の歴代国王たちが祭られている「宗廟」の間には今、栗谷路という大きな車道があり、この二つは地続きになっていないが、栗谷路を地下トンネルで通し、地上には歩道を造って、昌慶宮と宗廟を元通り地続きにする工事が現在、行われている。専門家の百家争鳴的な主張に振り回され、9年間にわたりあっちを掘り、こっちを掘りして来年やっと完成する。道路拡張費用を含めて完成までに854億ウォン(約85億円)かかる。昌慶宮と宗廟の間にはかつて、歩道橋があった。この歩道橋のおかげで人々は不便なく行き来していた。だから、昌慶宮などの入場者の便宜のため工事をしているわけでもない。
解放(日本による植民地支配からの解放=日本の終戦)後に栗谷路が造られて昌慶宮と宗廟が分断されたのだったら、現在のような工事はしていないだろう。日本による植民地支配時代に栗谷路ができて二つに分断されたために、日本による「風水断脈説」が加わって民族的事業となった。同説を事実として広報したのは文化財庁だ。昌慶宮公式ホームページの説明に「日本が宗廟とつながっている部分に道路を設け、(風水の)脈を断った」と書き、各報道機関もこれに同調した。
栗谷路の当時の名称は6号線だった。1932年の開通当時、この道路は現実問題として必要だった。今の大学路が京城(ソウル)の教育・医療の中心地として作られ、帝国大学・病院・官立専門学校が建てられた。光化門近くの行政中心地と教育・医療の中心地を結ぶ最短の動線が6号線だった。道路開通をめぐって朝鮮王家と日本の総督府が対立した時、朝鮮の報道機関は王家に好意的ではなかったという研究がある。市民の便宜と王家の便宜のうち、どちらが重要なのかが問題であって、風水が議論の中心になったことはなかった。日本による植民地時代を奴隷の歴史として学んだ人々にとって、この事実を受け入れるのは難しいだろう。