【コラム】自国の拉致被害者を見捨てない日本、見捨てた韓国

拉致被害者10万人を見捨てた韓国、17人を諦めない日本

 日本が米朝対話の過程で、前提条件として非核化と共に根気強く強調してきた問題が北朝鮮による「日本人拉致問題」だ。日本が拉致問題解決を主張するたびに、韓国メディアは否定的な反応を示す。非核化の対話から疎外された日本が、悪あがきして韓国と米国の足を引っ張っているというわけだ。

 日本政府が主張する日本人拉致被害者は17人。北朝鮮はこのうち13人について拉致の事実を認めた。生存者5人を日本に帰国させ、謝罪もした。しかし日本政府は北朝鮮を信じていない。残る12人についてだ。北朝鮮が「死亡した」と主張する8人と北朝鮮が拉致を認めていない4人の帰国を、日本は北朝鮮核問題解決の前提条件としている。北朝鮮の核は東京を攻撃する恐れもある。東京が攻撃されれば数百万人の命が奪われる。日本国民の北朝鮮の核に対する恐怖は、韓国に勝るとも劣らない。それでも日本は12人のことを諦めていない。

 韓国を基準に考えると、日本の対応は過剰なように思える。6.25戦争(朝鮮戦争)当時、北朝鮮に拉致された韓国人は、名簿で確認されただけでも9万6013人に上る。ソウルに住んでいた男性の3%が北朝鮮に連れていかれた。その中には法曹関係者、技術者、公務員らが多数含まれていた。北朝鮮から帰国していない韓国軍捕虜も、少なくとも2万人はいると推定される。休戦後に北朝鮮に拉致されたまま戻っていない韓国国民も500人以上いる。世界史に残る民間人拉致犯罪だ。それにもかかわらず、韓国は拉致被害者の生存確認や生存者の送還を北朝鮮に求めていない。日本の度量が狭いのか、韓国が非情なのか。

 6.25戦争の開戦から68年が過ぎた。拉致被害者の多くは既にこの世を去った。生存者もほとんどが、北朝鮮に定着して家族ができ、現地で仕事を持って生計を立てていることだろう。しかし、もう忘れてもいいのだろうか。「朝鮮王朝実録」に全く同じ質問が記録されている。1643年、朝鮮通信使として日本に渡った尹順之(ユン・スンジ)は仁祖に尋ねた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)から半世紀が過ぎたときだった。「日本に捕らえられた人々は老いて死にゆき、生きていたとしても生活のことでいっぱいで祖国を懐かしむ気持ちはないようです。連れ戻す件はどうしましょうか」。すると仁祖はこう答えた。「戻る気持ちがないとしても、われわれは当然、言わなければならないだろう」

 尹順之の使節団が日本から連れ帰った朝鮮人拉致被害者はわずか8人だった。白髪頭の朝鮮人14人が故郷に思いを馳せながら帰国の途に就いたが、6人が途中で命を落とした。その後、10年以上にわたり、拉致された朝鮮人の送還について日本と交渉を続けた。故郷に戻った人々が困難や飢えに苦しんだことはその次の問題だ。朝鮮は壬辰倭乱に続き、2度にわたり清に攻撃され、国は滅茶苦茶になった。それでも道理を忘れることはなかった。「国の道理」に関していえば、今の韓国は「ヘル朝鮮(地獄のような韓国=韓国の現状を地獄に例えた若者言葉)」にも及ばない。

社会部= 鮮于鉦(ソンウ・ジョン)部長
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